2010.03.23

雑想 : 「千の風」問題に見る Twitter の怖さ・・・

数日前、Twitter 上に以下のような文がパッと広まった。

新井満『千の風になって』の背後には、こんなことがあったのか。本当なら許されないことだよなあ。http://blog.greetings.jp/?eid=98

軽く調べてみた限りでは、どうも 館 淳一 (@jun1_tate) 氏の発言 (※この人物の職業柄、背景画像が凄いので注意!) を、いしかわじゅん (@ishikawajun) 氏がRT (再送信) した結果、パッと広まったようだ。(3/24追記) ジャーナリストの佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 氏なんかも、南風椎氏に同調的と解釈できるコメントと共に、この連鎖に加わっている。(3/24追記はここまで)

この Twitter 上でパッと広まったつぶやきのリンク先のブログ記事の内容は、個人的には、中立性を全く欠いた愚文であると思っている。私が考える主な問題点は、以下の3点だ:

  • 南風椎氏は、"a thousand winds" を「たくさんの風」と訳すことが普通であり、あえて「1000の風」と翻訳するのは創作性の高い訳だと主張しているが、これはそうは思えない。
  • 新井満氏は、『千の風になって』 の単行本 (ISBN4-06-212124-7) の巻末において、新井満氏がこの詩を知るきっかけとなったのが南風椎『1000の風』であることがしっかりと明記されている。それも、かなりの行数を割いて、だ。しかし南風椎氏は、この事実を紹介しておらず、あたかも新井満氏が南風椎『1000の風』の存在を隠して自作『千の風になって』を世に出したような印象を与えている。
  • 南風椎氏は、新井満氏が「千の風」を商標登録したことを批判している。新井満氏は、この商標使用料については、その全額を「千の風・基金」に寄付しているとしているが、南風椎氏は「千の風・基金」の存在については紹介しておらず、新井満氏が私利私欲のために「千の風」の商標登録を行なったかのような印象を与えている。

詳細については、拙ブログ記事『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』にまとめてあるので、よろしければそちらも参照してみて欲しい。

私は新井満氏の支持者ではないし、新井満氏のやり方にはやはり問題があったと思っている。「千の風・基金」についても、そこに用いられている額 (3/24補足: 商標『千の風』での収益の全額+α) は、新井満氏が (3/24補足: 詩や本も含めての) 『千の風になって』で稼いだであろうとんでもない金額に比べれば、微々たる額に過ぎず、この基金の存在は批判をかわすための印象工作なのかもしれない、と考える人もいるだろう。

だが、南風椎氏の書き方は事実を事実以上に悪く印象付ける書き方になっているのではないかと思う。こういうやり方は公平性に欠けるし、やってはいけないことではないだろうか。無批判に広めて良いような内容だとは思えないが。

しかし、そんな愚文であっても、たまたまそれを目にした著名人が、(内容をよく査読しないまま興味半分で・・・?) つぶやいた (あるいは RT した) 結果、Twitter 上でパッと広まってしまう。これって凄く怖くないですか?

(3/24追記) そして、その後のフォローはされることは無い。Twitter におけるこのような爆発は一過性のものであることがほとんどで、その後発展があったとしても、最初の時同様の広がりを見せることは無い。Twitter での広がりによって、いったん事実以上に悪い印象が作られたものは、後で挽回されることはまず無いわけだ。 (3/24追記はここまで)

同様の事例は前にもあったのだろうし、今後も、あるのだろう。多くの人が興味を持つ話題であれば、RT の連鎖でパッと一気に広まってしまうのが Twitter の力だ。著名人がその連鎖に加わる場合も少なくなく、そうなった場合の爆発力は驚異的だ。それが Twitter の良さではあるが、それが良くない方向に働くことも少なくない。Twitter 利用者の一人ひとりが注意していかなければいけないことだと思う。

ちなみに、先述の拙ブログ記事『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』からは、南風椎氏のブログ記事にトラックバックを飛ばしてあり、そのトラックバックは南風椎氏のブログ側にも (おそらく自動で) 反映され、南風椎氏のブログ記事には拙ブログ記事へのリンクが表示されていた。

そのリンクは今日 (3/23) の夕方までは確かに表示されていたのだが・・・、今日夜に確認すると、削除されていた。(南風椎氏のブログの該当記事 その1 / その2 )。拙ブログ記事へのトラックバックリンクだけでなく、全てのトラックバックリンクが (南風椎氏の主張に同調的なものも含め) 全てばっさり削除されている。

そういえば、南風椎氏のブログ記事に寄せられているコメントは南風椎氏の主張を無批判に支持するものばかりで、批判的なものは一切見られない。これにも違和感を覚える。

ここに、南風椎氏の人物像が見て取れるような気がする。

(3/24追記) この『「千の風」問題に見る Twitter の怖さ・・・』からも南風椎氏のブログ記事にトラックバックを送り (というか、こっちの記事内にリンクがあると向こうのブログシステムが自動的に拾ってトラックバックリンクを掲載する仕組みになってるようだ)、一時は向こうのブログにリンクが掲載されていたものの、翌日昼までには削除されていた。批判的なもの、都合の悪いものは削除、という方針らしい。

これを機会に、もう一つの事実を紹介しておきたい。拙ブログ記事『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』への南風椎氏のブログからのトラックバックリンクは、3/23日の夕方までは表示されていたが、夜までに削除された。実は、この間にはひとつのきっかけがあったのだ。

3/23日の夕方、失礼を承知で mixi で南風椎氏にメッセージを送った。南風椎氏のブログ記事に対し、私のような意見を持つ人間がいるということを知っておいて欲しかったからだ。

返信を期待していたわけではなかった。しかし返信はあった。しかしそれは返信メッセージ、という形ではなかった。トラックバックリンクの削除、が、南風椎氏なりの返信だったと私は解釈している。

(3/24追記) 本ブログ記事、なんと佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 氏にRTして頂いた。・・・ら、このブログがアクセス過剰で一時アクセスしにくい状態になってしまった。このブログはブログ専門ではない汎用レンタルサーバーで運用していて、個人向けレンタルサーバーであることもあってあまり帯域やサーバー能力には余裕が無いのだけれども、びっくり。Twitter 恐るべし。

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コメント(8)

みみっちい突っ込みですが、
> 新井満氏が『千の風になって』で稼いだであろうとんでもない金額に比べれば、微々たる額に過ぎず、
ってのは、不確定情報ですよね?

商標って、どこまで稼げるものなのでしょうか。適切な収支報告のない現状では、これも印象操作の範囲になると思います。特許は著作権で稼ぐ人はいても、商標で稼ぐ人って聞いた事が無いです。大抵は防御目的な事に使われますし。

コメントありがとうございます。

おっしゃる通り不確定情報ですので、「と考える人もいるだろう。」と結んであります。

ただ、ここで言いたいのは、詩や本も含めての『千の風になって』で稼いだ額 (これはおそらく結構な額になるでしょう) に比べれば、商標『千の風』で稼いだ金額はたいした額ではなく、その全額を基金に寄付しているとしてもね、という話です。

失礼、「歌や本も含めての」です。訂正します。

『「南風椎の本がなかったら自分があの詩に出会うことはなかったし、本も歌も作れなかった。これからは取材のときも講演でもそのことをかならず最初に言います」』

と言って1年も経たないうちに基金の記事で、

『■ご存じの方も多いと思いますが「千の風になって」という歌は、
 新潟市の主婦、川上桂子さんの死がきっかけとなって誕生しました。』

という説明では南風氏が怒るのもいたしかたないのかなと。
この記事でさらに新井氏の人間性を疑ってしまいました。
商標収入で基金ってのも

『私、新井満は日本酒とお香のジャンルで「千の風」の商標権を持って
 います。』
 
とは言っても、
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2010/03/2162004-10b2.html
のとおり、2004年にはかなりの商標をとっていたり。
(私は基金に悪いイメージを抱いているんで)これはどうなのかなと思うわけです。

面白い視点でした。
時にこれは、今まで「炎上」と言われた現象とも似通っており、
「挽回不能」という点ではさらに既存マスメディアにおいても
持ちうる危険性となっているのではないかと思いました。

>あえて「1000の風」と翻訳するのは創作性の高い訳だと主張しているが、これはそうは思えない。

これは、貴方の主観ですよね?

>新井満氏は、『千の風になって』 の単行本 (ISBN4-06-212124-7) の巻末において、新井満氏がこの詩を知るきっかけとなったのが南風椎『1000の風』であることがしっかりと明記されている。

これは、私は確認出来ないので何とも言えませんが、南風椎氏が新井満氏にクレームを付けたから書き加えたのではないですか?

>南風椎氏は「千の風・基金」の存在については紹介しておらず、新井満氏が私利私欲のために「千の風」の商標登録を行なったかのような印象を与えている。

商標登録の当初の目的が私利私欲でなかったと断言できますか?南風椎氏が「千の風・基金」の存在を知らなかったという可能性は?そもそも目的がなんであれ、パブリック・ド・メインの作品を登録商標すること自体に私は違和感を覚えます。某音楽産業企業がネットで生まれたパブリック・ド・メインのAAを商標登録した事件を想起させます。

以上、拙い疑問を書かせて頂きましたが、ただ、twitterによる情報拡散が怖いという事には同意です。先日も、アインシュタインの予言についての記事がリツイートに拠って瞬く間に拡散し、それは昔からある誤解だよ、とツイートしても追いつかず後から後からリツイートされて広がって行く様を見て呆然とした出来事がありました。

ただ、これはtwitterだけの問題ではなく、口コミや既存のマスメディアでも同じで一度広まった伝聞はなかなか覆すのが難しいのはその通りだと思います。

よろずやさん、コメントありがとうございます。


>> あえて「1000の風」と翻訳するのは創作性の高い訳だと主張しているが、これはそうは思えない。

> これは、貴方の主観ですよね?

私としては客観的に判断したつもりです。拙ブログ記事『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』の方にその判断材料を詳しく記載していますのでご参照下さい。
http://www.celestial-spells.com/logs/2010/03/post_67.php


>> 新井満氏は、『千の風になって』 の単行本 (ISBN4-06-212124-7) の巻末において、新井満氏がこの詩を知るきっかけとなったのが南風椎『1000の風』であることがしっかりと明記されている。

> これは、私は確認出来ないので何とも言えませんが、南風椎氏が新井満氏にクレームを付けたから書き加えたのではないですか?

それはおそらく違うと思います。手元の単行本は2003年11月初版、2004年2月第5刷のものです。しかし、新井氏が南風氏に対談を申込んだのは2007年5月の話で、新井氏と南風氏との対談のずっと前からこれは本に載っていたことになります。

あと、この点も要注目。南風椎「森の日記」より:

> 2003年の8月23日、朝日新聞の「天声人語」に驚くようなことが書いてあった。
> 「1000の風」についての記事だった。
> ~(中略)~
> ぼくが出した『1000の風』の本にも記事は触れていたが、メインはそうじゃなかった。

『千の風~』は当初から『1000の風』とセットで紹介されてきたことがわかります。


> 商標登録の当初の目的が私利私欲でなかったと断言できますか?

それを判断するのは読者一人ひとりです。しかし判断材料として重要であろう事実は提示すべきではないでしょうか。

> 南風椎氏が「千の風・基金」の存在を知らなかったという可能性は

「知らなかった」=「知る努力をせずに相手を批判した」、です。知らなくても、知っていて書かなくても同じです。Wikipediaにも明記されていますし、ちょっと調べれば簡単にわかることなんですから。知らなかったから、は責任逃れでしょう。

こちらについても、先述の『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』に記載してあります。

コメントして頂いたのは嬉しいのですが、できれば『「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...』の方にも目を通してからにして頂きたかったです。

お忙しい中返信ありがとうございます。
確かにリンク先読んでおりませんでした。
ご主張を全て把握してからコメントすべきでしたね。
お詫びいたします。

まず、私も南風椎氏の主張を全て鵜呑みにしている訳ではありません。彼のブログを読んで少々一方的な感じがしておりましたので、「そういう話もあるんだな」程度に聞いておこうと思ったくらいです。

南風椎氏が「1000の風」と"A thousand"をアラビア数字の1000で表現したのは私も違和感があります。そういう意味で創作性が高いと言われれば、まあそうかな、と素人的に思ったわけです。普通はやらない表現でしょうからね。まぁ、芸術性から言えば、新井満氏の「千の風」の方が詩的にもしっくり来るような気がします。無論、素人の感覚でしかありませんが。そういう意味では、影響を受けたとはいえ、「千の風」の方が広く知られるようになったのは、そちらの方のタイトルが詩的で芸術性が高かったとも言えるかも知れませんね。

私がこの件で一番違和感があったのは商標登録の件です。パブリック・ドメインの作品を翻訳したものなのに、目的が何であれ権利を主張して良いとは思いません。その一点に関しては、新井満氏は批判されるべきと考えます。他のことについては、南風椎氏もパブリック・ドメインの作品を訳したものなのだから、そんなに新井満氏を批判する権利があるとは、これも思えません。

ということで、ブログ主様も一方的に片方を批判している訳ではないことを確認出来て安心しました。リンク先を読まずに拙速なコメントをしたことをもう一度お詫びいたします。