2010.08.27

雑想 : 議論ができない日本人

先日 mixi で交通安全への考え方を巡って口論になったが、議論らしい議論にはならなかった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551892522&owner_id=27477668

この件が未だにモヤモヤしている。

日本人って、議論ができない馬鹿が多いんだな、とつくづく思う。議論することって、相手を論破して打ち負かすことだ、と勘違いしてるんだろうね。

しかしそれは断じて議論などではない。相手を打ち負かした気になって気持ちよくなるだけの言葉遊び、自慰行為に過ぎず、得るものは少ない。

議論することって、互いの言い分を理解し合い、意見を出しあって深め合うことでしょ。

だからまずは相手の言い分をちゃんと理解するプロセスが大事。不明点があれば相手に確認して、自分の理解が正しいかどうかを問い、互いの認識を一致させてから、意見交換に入る。

しかし、相手の言い分への理解を深めることを怠って、中途半端な理解のまま「攻撃」に出る人が多い。そんなことしてもお互いに得るものなどほとんど無いのに。あまりに下らない。

議論は勝ち負けじゃない。得るものがあるかどうかだ。勝ち負けに走ってしまうと、得るものは少なくなる。

そして、一致した結論を得る必要は必ずしもない。世の中、完全に正しい答えなど存在し得ない問題の方が多いのだ。

交通安全への考え方が、その好例の一つだろう。法律上の交通ルールを守るのは当然としても、それだけじゃ充分ではない。かといって完璧など存在しないし、どうしても妥協が必要になる。その妥協点をどこに持ってくるかは人それぞれであり、誰も強要はできない。

交換し合った意見を踏まえて、それぞれがそれぞれの考えを深めることができたら、それでいいはず。

しかし繰り返すが、それはあくまで理解の上での話。相手の考えを理解する、ということと、相手の考えに同意する、というのは意味が違う。まず理解がなければ、同意も否定もあり得ない。

俺は自分の考えを理解してもらうことには貪欲だが、同意してもらうことについては必ずしもそうではないつもり。しかしこの姿勢が、同意を強要してるかのように受け取られてしまうのは悲しい。

なんだか偉そうに語ってしまったけど、今俺が語ったことは、大人としては最小限身につけておくべきことに過ぎず、これを身につけて居たとしても、別に偉くも何とも無く、当たり前のことに過ぎないと思う。

俺自身もあまり優秀な人間とは言えないしね。客観的に言って。大学も中退してるし、大した専門知識も無いし、収入もそれに見合った程度。いくつかの分野で小技は持ってるので、それで何とか収入は得てるが。

今でも思い出す。

議論ができない人と無益な口論になって、長い間すれ違いの応酬を繰り返した挙句、結局お互いに何も得るものはなく、俺は精神の健康を崩して精神病院通い。その後仕事をやめて帰郷し、実家療養、今に至る。

ちなみに、その相手は、何が悪かったのか一切認識していなかったし、自分は頭が良いから、俺の方が一方的に悪いと思っていたようだ。

教科書通りの内容であれば高度なことでも理解できても、信じられないほど頭が固く、奇抜な発想力には呆れるほど乏しい人物であった。

そんな奴が、当時東京理科大だったっけ? どっかの名門大学の理系の大学院生だったわけで。暗記重視の詰め込み型教育の悪い例の一つなのだろう。

その人を嫌っている人は少なからず居たが、本人は嫌われていることには気付いていなかったし、そもそも気付こうとはしていなかった。

ま、それも幸せになるための方法論の一つなんでしょ。鈍感であれば、例え他人を傷つけても、自分は傷つかなくて済む。迷惑な話ではあるけどね。

そういうどうしようもない人ともなんとか付き合う術を身につけるのが大人になるということなのかもしれないが、そういう図太さは甘ちゃんな俺には足りないようである。だから正直、そういう人とは距離を置きたい。

これも交通事故の話とどこか似てるね。どうしようもない人間はどこにでも居るので、そういう人に傷つけられないためには、できるかぎりこっちから避けるか、それなりの対応の仕方を身につける必要がある。

それができなかったから精神病院に通う羽目になったわけだ。相手が悪いとはいえ、こっちの対応もまずかったというわけ。

ちなみに俺は今も実家在住だけど、主にネット経由で海外の人と仕事してるので、仕事の上ではそういうストレスは少ないな。日本にもちゃんとした人間は多いとは思うけど、将来的に日本の会社に勤めるような事になった場合、うまくやって行ける自信は無いなぁ。

海外の人と仕事と言っても、ほぼ文字のみのやりとりで、音声会話のスキルは良いとは言えず、海外生活はちょっと無理があるし。何もかも中途半端な俺である。

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コメント(24)

古い記事に対してコメントして申し訳ありませんが、ちょっと気になったので。


> 議論することって、互いの言い分を理解し合い、意見を出しあって深め合うことでしょ。

> しかし、相手の言い分への理解を深めることを怠って、中途半端な理解のまま「攻撃」に出る人が多い。そんなことしてもお互いに得るものなどほとんど無いのに。あまりに下らない。

という点、まさに仰る通りだと思います。

が、tagoshuさん自身がその「あまりに下らないこと」をしていますよね。

「日本人って、議論ができない馬鹿が多いんだな」という言葉や、
mixiの日記に見られる「キチガイ」の連呼。
「馬鹿」「キチガイ」という言葉で、相手を攻撃して悦に入ってますよね。

客観的に見て、mixiの日記で議論が出来ていないのはあなたの方です。

そうです。私はキチガイですよ。
「馬鹿」も「キチガイ」も、実際のところは私自身に向けられた言葉でしょう。
キチガイであまり誰にも相手にされない私にとって、
議論する相手とは私自身であり、自分の中での戦いなのです。
それを他人に晒しているのですから、なんとも気持ち悪い話ですね。

> 「馬鹿」「キチガイ」という言葉で、相手を攻撃して悦に入ってますよね

こういったことは確かに問題かも知れませんが、全然重要な論点では無いんですよ。私が馬鹿でキチガイなのは誰の目にも明白ですし、議論の余地のない話です。無駄な話はやめませんか?

そんなことより、ヘルメット着用により約1/4まで死亡率が下がるという事実 (※ニューヨーク市の事故統計、興味あるならURL紹介します) があるにもも関わらず、日本ではヘルメット着用率が極めて低いという現状。

そっちのほうがよっぽど重要な問題であるわけです。

それも今となっては問題と言えるかどうか。

結局さ、多くの人って、どこかで死にたいと思ってるんじゃね?
自ら自殺まではしないまでも、偶発的な事故で死ぬ可能性を
真剣に下げようとはしない。
これは、潜在的な自殺願望の表面化かもしれないね。

ヘルメットを着用しない、というのも、その一部とするなら
個人的には納得出来る話。

俺は俺自身にそういう願望があることを知ってるから、
せめて戦いますよ、偶発的な事故で死んでしまいたい、というこの気持ちと。
危険な行為をしない、ということはないけど、
せめて安全対策だけはちゃんとしたい。

おっと、大事なことを言い忘れていた。

私は、全ての人が、例外なく、多かれ少なかれ頭がおかしい、と思っています。
私も、あなたも、全ての人がです。

そして、それを自覚することが、ノーヘルメット自転車運転を一例とする、
頭がおかしい行為を見直すことの出発点になるのではないでしょうか。
自分がマトモだなんて思ってしまったら、
反省点はなかなか見えてこないものです。

だからね、他人をキチガイ呼ばわりしたところで、
それは他人を見下しているわけではないのです。
各人が、自分がキチガイであることを認識するのが大切な事だと、
心からそう思うからそそう言っているわけなんです。

すみません。コメントをしておきながら、お返事を見忘れていました。

意外にも(というのは失礼な表現ではありますが)、
お話が通じそうな方なので、議論に乗ってみます。

おっしゃるとおり、キチガイだとか馬鹿だとかいう話は、
ここでは論点ではないので蒸し返すのはやめておきます。
(老婆心ですが、論点だと思っていないならば、
 議論の中で論拠のように用いるのは得策ではありません。
 「議論ができない人」に過剰反応を起こさせるだけであり、
 また「議論ができない人」のレッテルを貼られるだけです)

-------------------------------

で、ヘルメット装着率の話ですが、
「ヘルメット装着によって死亡率が1/4になる」という事実は、
なかなか面白いし、数字だけみるとショッキングですが、

「何」が1/4になっているか、というのが重要な点だと思います。
「死亡率」とは、

DiA(death in Accident rate)

(自転車で道を走り、事故に遭う確率)
× (事故が「死」をもたらすレベルの重大なものとなる確率)

ですよね。
「ヘルメットをかぶる」という行為は、これが、

(自転車で道を走り、事故に遭う確率)
× (事故が「死」をもたらすレベルの重大なものとなる確率)
× (防具でカバーできず、「死」が現実のものとなる確率 = 1/4)

となるということだと思います。

うん。確かに死亡率は1/4になる(当たり前ですが)

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ただ、多くの日本人は「ヘルメットかぶるなんて、、、ねぇ」という判断をしています(tagoshuさんが腑に落ちない点)。

これは2つの理由があると考えています。

1つは、「どうせ死亡率なんて低い」という考え方。

40%と10%だと大きな差に見えますが、
DiAなんて元々0.001%くらいなんじゃないの?と考えている場合、
死亡率は0.001%と0.00025%ということになり、小さな差に見えます。

だから、そもそも、対策をする気が起きづらい。

もう1つは、「対策は他にもあるでしょ?」という考え方。

DiAを下げたいのならば「自転車で道を走り、事故に遭う確率」を下げる方が良さそう、
という判断が入っているのだという意味です。
たとえば、車道は走らない、とかね。

そんな経緯から、ヘルメット着用は進まないのでは?

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ちなみに、海外の一部の都市では日本と異なり、
「自転車は車道を走らなければならない」というルールがあります。
ので、「自転車で道を走り、事故に遭う確率」は減らしづらい。

また、道路の整備状況、ドライバーの教育状況、飲酒・麻薬の蔓延状況から、
「事故が「死」をもたらすレベルの重大なものとなる確率」は比較的高い。
(ただ、Dataはありませんので間違ってるかも。)

だから、「ヘルメット着用」という対策が必要だと、市民が認識しているんですね。

どうでしょ?

返信が遅れましたが、私自身、自動車運転中、直前で黄信号に変わった交差点に進入した際、左右確認もせずに信号が青に変わる直前、見切り発車で横断歩道を渡り始めた自転車を危うく跳ねかけたことがあります。

自転車の存在には気付いており、自転車が動き始める前、こっちを見もせずにペダルに足を乗せたのを確認していたためなんとか回避できましたが、こちらもそれなりにスピードが出ており、急ブレーキで止まれる状況でもなく、自転車側はノーヘルメットでしたし、万一当たれば死亡事故に繋がる可能性が高い状況でした。しかし、あの速度であれば、頭を強打しない限りは死に至る危険は少なく、ヘルメットさえあれば当たっても死なないで済む可能性が高い状況でもありました。

また、私は自動車対自動車においては、2回も追突食らってます。

1度目は日中なんでもない交差点での信号待ち中の事故で、軽く当たった程度のために車には傷も付きませんでしたが、しかしこういう事故に自転車が巻き込まれる可能性は充分あるでしょう。自転車の場合、例え軽く当たっただけでも、頭を打てば死に繋がる可能性は充分あります。

2度目は未明の国道で信号待ち中の事故で、居眠り運転の3トントラックにノーブレーキで突っ込まれました。大怪我はしませんでしたが、車は廃車です。まあ、こういう事故に自転車が巻き込まれた場合は、たとえヘルメットがあっても全身強打で死ぬ可能性が高いんでしょうね。

で、私自身、自動車の運転をあまり多くするわけではありません。以前は東京在住だったこともあり、運転するようになったのは富山に戻って以後のここ3~4年程度に過ぎません。それに一種の自営業で在宅仕事であるため、通勤で毎日乗る、ということもなく、また、片道2~3km程度までは徒歩で移動するように週間付けて居ます。よって、富山在住の多くの人よりは、運転機会は少ないのです。にもかかわらず、2度も追突事故を食らっているし、私自身が死亡事故の加害者になりかけたこともある。

結局、交通事故なんてありふれてるし、多くの人は、事故に至らないまでも、危ない経験はしてきているはずなんですよね。その経験を真剣に考えられない人が多いために、現状に至ってると思います。

海外については、事故に遭う確率云々もあるかもわかりませんが、やはり、現実的な危険を現実的な危険として、軽視せずにちゃんと認識している人が多いってことなんじゃないでしょうか。それでもまあ、ニューヨーク市の例では確か着用率は約13%程度。資料を紹介します:

交通事故により死亡した自転車運転者のうち、約97%がヘルメット未着用。ヘルメット着用率は13%程度ですので、ヘルメット未着用と着用では、単純計算で死亡率が5倍近く違うことになります。ヘルメットの救命効果の素晴らしさがわかりますね。

また、ご指摘の通り、ヘルメット着用が推奨されるかどうかは、やはり状況にもよるでしょう。海外のどこかの都市では、市内に全面的に自転車専用道路を設け、逆に自動車が通行できる道は大幅に減らし、自動車道にも全て自転車専用レーンを設け、市民の交通マナーも極めて良いそうです。ヘルメット着用者はゼロに近いようですが、これは単純にその必要性が低いためでしょうね。

日本においては、確かに、自転車が歩道を通行できる状況が多いことが、ヘルメット着用率の低さに繋がっている可能性もあるかもしれません。しかし、自転車の歩道通行は必ずしも安全ではないようです。歩道は見通しが悪くて交差点から出てきた歩行者等への対応が遅れたり、歩道に街路樹等がある場合は自動車側から発見が難しくなり、自動車との接触の危険性が増えるようです。これについては最近、2件のmixi日記を書きました (後日、ブログのほうでも改めて執筆予定) のでそちらをコメント欄も含めご参照下さい:

日本においては、道や交通状況が自転車に最適化されているとは言えず、やはりヘルメットは必要だと思いますね。

でね、私にとっては、自分のことを棚にあげて一般論で語る人には興味ないのですよ。私が一連の記事を書いているのも、私自身が (自動車対自転車事故の加害者として) 事故関係者になる可能性が少なからずある、という認識があってこそです。

私は、問いかけているのです。私のブログを読んでくれた読者一人ひとりに。私のブログを読んでくれたあなた自身が、今後どうしていくのか。それが一番大切なことだと思っています。この問題を自分自身の問題として捉えた上で、という視点に立ってコメントしていた人が全然居ないのが何より残念です。これが無ければ議論の出発点にすらなりませんし、それこそが、私が一番問題視したい点です。

いやー。まったくもって「議論が出来る人」とは思えない。残念だ。

> 議論することって、互いの言い分を理解し合い、意見を出しあって深め合うことでしょ。

と自分で言いながら、「意見を出し合って深め合う」姿勢が感じられません。

理由は3つあります。

1つめ。
あなたは、私の書いたことを全く無視している。自分が書きたいことを書いているだけ。
私は「あなたの疑問点はここですよね」「じゃぁこういう風に考えてみたら?」という形で
話を展開しましたが、あなたは「(あなたはともかく)私はこう思います」と言ってるだけ。

2つめ。
あなたの意見は論理的でない。ゆえに「理解してもらおう」という気持ちが感じられない。
「ごにょごにょごにょ~~~ で、やはりヘルメットは必要」となっていて、
どうして「ヘルメットが必要」なのかが結局分からない。

3つめ。
論点がバラバラしていて一貫性がなく、「あなたと何を話せばいいの?」と思ってしまう。
最初は、「なぜ危険だと分かっていてもヘルメットを着用しない人がいるのか?」を
議論しているのかと思っていたが、違うようだ。

・「議論の際は一般論で語るべきか、自分の話をするべきか」 → あなたは後者派
・「自分たちはどうしていくのか」 → あなたはヘルメット被る派
・「自分自身の立場にたってコメントをすることが議論の出発点か?」 → あなたはYes派

ってのが論点?


まずは論点を絞ってくださいね。
でないと僕も何について自分の意見を述べたらいいか分からないから。

もうちょっと頭の良い子かと思ってたんだがな。。。

ま、死ねばいいのじゃないですか、事故に遭う危険を、自分自身の問題として、命を掛けて考えられない人は。

問いかけているのですよ、私は。あなた (ここではYukiさん個人ではなく、読者全員を指す) 自身の人生経験において、危ない経験はしてこなかったのかと。その経験を軽視してこなかったか、命を守っていくために有効なちょっとした安全対策を怠っていないか、今一度命を掛けて考えなおしてみては? と。

あなた自身の人生であり、命です。客観的な事故統計の検討といった部分も判断材料の一部としては大事かもしれませんが、それだけじゃピンと来ない人が多いのでは? やはり自分の経験を見つめ直し、自分で考えて、やるべき事をやっていく必要があるでしょう。そう提案しているのですよ。

だからね、一般論に終始するのは、私の問題提起を踏まえた上での話の展開とは言えないし、よって、話が成立しないのは当然なんです。私としては、あなた自身の経験と、それを踏まえた判断を問いたいのです。

一般論に終始するのは、一種の逃げかもしれませんね。自分自身という存在を話の中に関わらせないための。

先に紹介した「歩道走れる状況ではなるべく歩道走って欲しい」のコメント欄では、良い話ができたと思っています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1726825888&owner_id=27477668

この方は、問題を自分自身の問題として捉えて、自分の経験を語り、改善できる点があれば改善していこうという姿勢を持っているのがちゃんと伝わってきますね。私は、こういう相手と話をしたいのですよ。

追記すると、一般論というのは、マスに訴えかけるためのものだと思います。ですが、こんな特に読者が多いわけでもないただの個人ブログでは、マスに訴えかけるというのはその役割だとは思いませんし、その方向での問題提起はしていません。

こういった個人ブログのコメント欄というのは、筆者と読者との個人的な交流の場だと考えています。ですので、そこにはお互いに自分自身という存在を話の中に登場させないと、なかなか有意義な話にはならないと思います。

その中で、今後の人生の中で実践していく価値のある何かを少しでも見つけてくれる人が、もしたった一人だけでも居れば、それがこういった個人ブログの役割ではないでしょうか。

「キチガイ」とか、一般的には使うべきではない表現を私があえて使うのも、他のやり方では伝わらないけど、こういうやり方なら伝わる相手も居るかも知れない、という狙いがあってこそです。

なるべく多くの人に伝わるように書こう、というのも大事ですが、私としてはそれは他の大勢の優秀な皆様にお任せしています。私としては、それでは伝えきれない一部の人にピンポイントで届くような問題提起のやり方を目指していきたい。

> 2つめ。
> あなたの意見は論理的でない。

客観性・論理性ばかりを追求しても、それは結局、ただの言葉遊びに過ぎないかもしれないのですよ。それだけでは人の行動を動かす力は足りないかもしれない。

「死にたくない」というのは論理ではなく主観的な感情ですし、私としては、客観的な事実も踏まえはするけれども、感情を込めて、命をかけて、問題提起したいですね。

実際に人の行動を動かす、実践に繋がる何かを、私は目指しているんです。そうじゃなければ、意味が無い。

> 1つめ。
> あなたは、私の書いたことを全く無視している。

あなたが数字や一般論ばかりを提示してきたので、それを踏まえて、それだけじゃ駄目でしょ、自分自身の個人的経験をちゃんと考えようよ、自分自身の問題だよ? という形で返したわけです。全然無視してないですよ。

それを考えてもらえないのであれば、私としては、あなたに対して何一つ伝えられなかった、ということです。

> ・「議論の際は一般論で語るべきか、自分の話をするべきか」 → あなたは後者派

生き死にの問題は、各人の個人的問題ですからね。客観性・論理性ばかりを追求しても、それはどこか他人事という意識が生じかねない。それが一番やってはいけないことだと、私は思いますね。他人事という意識は、払拭されねばなりません。そのためにも、自分自身という主観を登場させてこそ、それが出発点です。

他の多くの人がどうするか、を話しているのではない。あなたという個人がどうするのか、を話しているのです。だから、私としては、私という個人はこういう経験をしてきて、こう判断してこうしてます、と話してます。

だからね、あなたの生き死にというのは、あなた自身の個人的問題なのに、問題を一般化して語るな。一般論も判断材料の一つとして考えつつも、自分自身の個人的問題として、自分自身の個人的経験をしっかり反省して、命を守るための実践を、命をかけて見つけていけってことです。

私が腹立たしいのは、それを怠り、問題を一般化して、他人事のように語る人たちです。自分自身のことを棚にあげて。全く話にならないですよ、それでは。

あなた自身の行動を、あなた自身が変えていくことに繋がらないなら、この問題についてここで話す意味など無いのです。

> あなた自身の行動を、あなた自身が変えていくことに繋がらないなら、この問題についてここで話す意味など無いのです。

ここでいう「行動を、あなた自身が変える」ってのは、
「危険性を認識し、ヘルメット着用をしていこうと思うこと」を指すんだよね?
何だかんだ言って、「ヘルメットは必要」「ヘルメット着用すべき」と、
繰り返し繰り返し言っているところを見ると、要はそれを認めさせることがあなたのゴールなんだよね。

つまり、

> あなたが私の言い分に従わないならば、ここで話す意味など無い。

と言い換えられるよね。
結局、あなたは自分で最初に言った

>議論することって、相手を論破して打ち負かすことだ、と勘違いしてるんだろうね。

と矛盾する行為を自らしてるんだよ。分かる?


一般論を出せば、「個人的な問題だ」と言うし、
個人の意見を言えば、「一人残らずヘルメット着用すべき」みたいな極論言うし、
議「論」しようぜって言うから論理性の向上を目指せば、「論理なんて要らんかも」とか言うし。

ほんっとに議論のための議論をするヤツだな。。。
こういうやつを部下に持つと仕事が進まないから嫌いだ。俺は。


あと、とにかく話が無駄に長い。
ここで大事なのは「無駄に」の部分ね。
情報がダラダラと書かれているけど、「何故その情報を共有してるの?」という部分の説明が無い。

まったく話が見えない。


「人を動かす」とか大層なことを言う前に、
まずは正しく論理的に端的に物事を伝えられるようになろうね。
「人を動かす話術」なんてものは、その次の段階だよ。

あと、「人を動かしたい」ならば、相手を正しく見ようね。
少なくとも俺は、あなたの言葉には全く共感を覚えなかった。

結果だけ見ればあなたの作戦は大失敗だねぇ。

もう来ないから返事いらないからね。
出来る限り社会に貢献できる人間に成長してくれることを祈ってます。
とりあえず最低限、社会のお荷物にならないでね。

> ここでいう「行動を、あなた自身が変える」ってのは、
> 「危険性を認識し、ヘルメット着用をしていこうと思うこと」を指すんだよね?

なぜそうやって自分で自分の視野を狭めるんでしょう?
「行動」は、文字通りの「行動」ですよ。特定のひとつの行動を
指すわけではないです。

私が言いたいことは、事故のニュースを見たり、
私のブログを見たりといったことをきっかけに、
各自が各自の体験を見つめ直し、その中で改善できる点を
少しつづでも見つけて、それを実践して行ってほしい、って事です。

こういう事件があったね、私は個人的にこういう体験をしてきたので、
この件についてこう思う。あなたも自分の体験を振り返ってみて、
思い当たるふしは無いのか? と。

自分の体験を振り返るのはあなた自身ですし、
どう考え、どう行動を変えていくかを決めるのもあなた自身であるわけです。
私の意見なんて、そのためのきっかけを与えているに過ぎないですよ。

同じ奴を何度も紹介しますが、ささやかな好例はこれですね:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1726825888&owner_id=27477668

流れとしては、

 1. 私: 歩行者に迷惑をかけない状況なら、
   自転車はなるべく歩道通った方が安全じゃね?
 2. コメント: いや、自転車の歩道通行は、
   歩行者にとってだけでなく自転車にとっても意外と危ない。
 3. 私: そうなのか、でも、車道通行中の自転車が、
   車が接近したら一時歩道に退避したりするのを見るとちょっと感心する。
 4. コメント: それは良いかもしれない。やってみる。

私としては、私が思い及ばなかった自転車側の事情について知れたし、
コメントしてくれた人にも得るものがあったわけです。

このコメントしてくれた人が、問題を自分の問題としてちゃんと捉えていて、
その上で自分の体験も含め語ってくれたからこそ、
こういう有意義な話が成立したわけですね。

結局、Yuki さんの話の中には、あなた自身の話が全く出てこなかった。
どういう体験をしてきて、その結果どう考えているのか、全く見えない。

問題を自分の問題としてちゃんと捉えて、自分の体験をちゃんと振り返ってくれることが、
この話において絶対に必要な出発点だと思いますし、
私があなたに求めていた点はそこなんですよ。

結局、あなたがその出発点に立つことはありませんでした。
これでは、話が始まりもしないわけですよ。

そういう相手と話が成り立つ余地は、私にはありません。
魂のないBOTか何かを相手にしているようで、大変に疲れました。
ま、住む世界が違うのでしょう。関わり合わないのがお互いのためなんでしょうな。

ま、私は自分の考えを固定しないので、
ヘルメットについての記事を書いた当時今とでは
言ってることは違うかもしれないが。

私はキチガイなんでね、とりとめの無い人間ですわ。
言ってることも、言い方も、そのときの気分次第で変わるしね。
でも、変に猫被ったりせず、私は私を晒して行きますよ。これからも。

人間なんて多面性を持った生き物。
私の色んな側面は、悪い面も含め全て私の一部ですし、
統一感のある良い子キャラを演じたところで、それは私の本当の姿ではない。
素の私を晒してこそ、伝えられることもあるでしょうから。

お行儀の良いやり方は、わざわざ私がやらなくても
他の方が充分にやってくれていますし、その方が一般的には
効果はあるのでしょう。

でも、共感のツボは人それぞれですからね。
私のやり方も、ピンポイントでは有効かもしれない。

非論理的? 上等じゃないですか。筋が通って無くても良い。
とりとめのない混沌の中にも、読み手にとって有用な何かが、
読み手次第では見つかるかもしれないですし。

むしろ、論理的・客観的に筋を通ったものばかり求めてもつまらない。
そうじゃないものを理解する努力、あるいは、
そうじゃないものの中から、役に立つ部分を少しでも拾う努力をしてこそ、
人生面白くなるのかも。

論理的・客観的に筋が通ったものは、気持ちよいよね。
でも、それに依存しすぎてもいけないのでは?

Yukiさんはもう来ないかもしれないけど、
他にも少ないながらに来る人は居るのでね、とりとめもなく書いてみた。

ヘルメットの件について少し話を戻す。

ヘルメットが危ないからあえて被らないって人も実際のところ居るわけですよ。危ないというのは、ヘルメットを被ると何故かヘルメットを被らない場合に比べて自動車との距離が近くなるという。つまり、自動車が自転車を追い抜く際、充分な安全距離を確保してくれなくなるってこと。

こういう具体的な実体験を元にそうしているなら、私としてはそれ以上言うことは無いですが。

この、車との距離の話については、心理学者が自分を検体として実験して論文にまとめていたりもする。ただ、俺が読んでみた (正確には、論文そのものは読んでおらず、その論文を紹介する記事を読んだだけだが) 限りではまだまだ充分に検証されているとは居えず、そういうこともあるかも、ということを示唆した程度に過ぎない感じでした。

だからね、この話を聞いて、安易に「私も被らない」って言うのは駄目ね。ちゃんと自分の実体験を振り返って、よく考えてみて、確かにその方が自分にとって安全かも、と思えるのなら、そうすれば良いけど。

私が漠然と感じるのは、あまり深く考えずに、被らないという選択をしている人は多分多いってこと。そもそも、被るという選択肢をちゃんと考えたことが無い人すら少なくないかも。

そこで、あなたが何故ヘルメットを被らないのか? あなたにとってその選択には充分な理由があるのか? 例えば髪が乱れるから嫌というのなら、それはヘルメットを被らないという選択に繋がるほど重要な理由なのか? 安全より髪を優先するあなたを良しとする人間と、あなたは付き合いたいのか? 今一度人生経験を振り返って、しっかり考え直して欲しいと。

そう言いたいわけですよ。

ただなぁ、こういう丁寧な言い方は俺のやり方じゃないかもな。
俺はキチガイで性格悪いから、こういう丁寧な言い方より、棘のある言い方を好む。

その場では理解されなくてもいい、しかし棘というのは、残るものだからね。
10年後、20年後、30年後に、それが生きてくることもあるかもしれない。
それでいいんじゃね?

我ながら何と言う姑息な。ちっちゃい人間ですわ。
でも、それでいいんじゃね? と思う。

今度、mixi 日記に書いた自転車の歩道走行について
このブログのほうにまとめようと思ってるけど、
Yuki さんとのやりとりは、その方向性を考える上で、私にとっては意味があったかな。

無意味に思えることの中にも、少しでも意味を見つけて役立てていかないとね。

そう、俺は貪欲な人間なのですよ。
だから、その場では無意味に思えたことでも、必ず後で振り返ってみて、
自分のために生かせる部分がないか探すことを忘れない。

自分のため、って点を大事にしたい。他人事じゃつまらない。

結局さ、理解など求めていない。同意など求めていない。
わかり易く書いて、納得してもらって、同意してもらう。
それが良いことだとは、あまり思わないのだな、こういう問題の場合。

各自が自分の経験をしっかり振り返り、よく考えた上で、
見つけた反省点を行動に反映していく。
自分の命とは、そうやって守っていくもの。

だから、他人の考えに安易に流されるのは良いこととは言えない。
たとえ最終的には納得して行動に取り入れるのだとしても、
自分の経験をしっかり振り返り、よく考えた上でそうしなくては駄目だと思う。

ちゃんと自分なりに考えてみる、という過程が大事だということ。

俺としては、そのきっかけを作りたいだけだ。
それには、なんだこいつ、と思われるぐらいの書き方で
丁度良いんだよ、多分。