2011.03.29

雑想 : 生きるということは、毒物を摂取し続けること

中学生アイドルの書いたブログ記事が話題になっていますね:

この記事、一見冷静で論理的に見えて、根拠のない思い込みが随所にある。中学生としてはがんばってるとは思うが、過大評価は禁物。

中学生でここまでの考えを持っているのは素晴らしいことですし、今後の成長に期待したいですね。

ただ・・・、冷静な分析をせず、安易な称賛を添えて拡散した、一部の有名人ツイッタラーにはあきれます。


件のブログに見られる根拠の無い思い込みですが、例えば、

微量とはいえ空気中の放射性物質を吸い続け、
微量とはいえ、汚染された野菜を食べ続け、微量とはいえ、
汚染された水を採り続ければ...影響があることくらい、バカな厨房2年の私でも分かる

の部分は、無知による思い込みに過ぎない。

摂取されたものはずっと体内に留まっているわけではなく、少しづつ体外に排出もされるし、放射線により受けたダメージも少しづつ回復されるわけなので、微量づつであればずっと摂取し続けても問題になることはない。

物質によっては排出されにくいものもあるし、そういうのは微量づつでも蓄積してしまうけれども。

少なくとも、今最大の問題となっている、放射性ヨウ素については、体外に排出され易いという話だ:


毒は量次第。

猛毒の物質であっても、ごく微量であれば影響は無いし、有益な物質も摂り過ぎれば毒になる。

毒について論ずる際は、毒だからすなわち危険、という安易な判断は間違いで、量を評価してバランスを考えた判断が必要。


生きるということは、毒物を摂取し続けること。たとえ放射能汚染が無くても、あらゆる食品には多少の毒性がある。

例えば、塩は生きるために必要であるが、同時に毒でもある。

塩は、一度に多量に摂取すれば、死に繋がることさえある。その量は体重60キロの人で 30~300g らしい。

こんなに大量の塩を一度に摂取することはまずあり得ないが、子供が大量の塩を飲まされて殺されたという事件も起きている:

塩以外にも、身近な色々な食品には毒性があり、一度に多量を摂取すれば死に繋がる:

農薬は毒だが、無農薬野菜なら安全かといえばそうではない。

植物だって生き物だし、生きるための自己防衛機能を備えている。天然の農薬様物質を作り出して、病気や害虫に対抗する。この天然の農薬様物質は、場合によっては農薬より毒性が高いとか。

加えて、農薬を使わない場合、手間が大幅に増えるし、作付面積あたりの収穫量も少なくなるというリスクがある。


植物も動物も、皆かけがえの無い命を持っている。

我々は、そういう命を日々奪って生きている。

生きるということは、綺麗ごとではないのだ。


そして、日々毒物を摂取し続ける必要がある以上、我々の体には、摂取した毒物を無毒化したり、排出したり、毒物から受けたダメージを回復したりする機能が備わっている。

その機能のキャパシティを上回らない限り、微量の毒物を長期間摂取し続けても、それによって受ける影響は無視できるレベルに留まる。

ただし、無視できるレベルに留まる、というのは、全く影響がない、という意味ではなく、寿命に大きな差は生じないという意味だ。

毒物を排出したり、ダメージを回復したりする機能は完璧ではないので、回復しきれないダメージは少しづつ蓄積される。よって、長く生きればどうしてもガンにはなりやすい。例え放射能の影響がなくても。

日本ではガンによる死亡率が年々高まっているが、これは寿命が延びたことの裏返しでもある。

他者のかけがえのない命を奪って生きる以上、ガンのリスクは、避けられない業というものだろう。


多くの人間は、健康に長生きしたいと願っている。

毒を徹底して避け、安全な食品を食べ、潔癖でありたいという願いもあるだろう。

しかし、完璧な安全など、あり得ない。

この世は、理想郷でも楽園でも天国でも無い。


そんなこの世で生きる上で、潔癖でありたい、という願いは、身勝手な考えかもしれない。


リスクを冷静に見極め、受け入れられるリスクは受け入れていくような、バランスの良い判断が、生きていく上では必要。

現在の汚染地域に対する避難指示等の対策が妥当か。原発を今後どうすべきか。そういったことを論ずる際は、その視点を忘れないで欲しい。

Categories: 雑想

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コメント(2)

こんな年のアイドルもいるんだねぇ。

> 摂取されたものはずっと体内に留まっているわけではなく、
> 少しづつ体外に排出もされるし、

件のブログは人体の事だけでなく環境負荷の事も言っているような気がした。
アニメ映画のナウシカっぽい感じかね。

どちらにせよ、人体の排出機構があるという説明に私は同意。人体は色々と非線形な部分もあるので、おそらく一定の閾値以下は影響が出ることもないでしょう。

よっぽで劣化ウラン弾の方が悪いんじゃないのかなぁ。
私自身は以前より原発は反対よりですが、理由は今回のような事故とかの懸念ではなく、放射性廃棄物の管理が人間の歴史より長くかかるので、そんなもん次世代に大して保証しきれんというところでした。

それにしても、ブログの作者。意見がちゃんと表明できるのは面白いね。こういう子を10人ぐらい集めて原発の是非とか討論させると面白い議論になるかな。

はじめまして。たまたまカメ池のろ過装置の参考になりそうな記事をググっていてこのブログにたどり着きました。

件の記事、拝見しましたが・・・本当に「中学生にしては一生懸命考えてて、自分なりに行動しているのがエラいね。」という印象ですね(^^;;;;
今後いろいろな経験をしたり勉強をして、きちんと自分なりに論理立てて物事を考えられるようになればきっとステキな大人になるでしょう。

・・・が、感情的な決め付けと無知による思い込みに凝り固まっていて矛盾だらけであるのもまた事実。
「中学生らしい」と微笑ましくは思いますし今後の成長を暖かく見守って応援してあげたいとは思いますが、このブログをイイ年齢した大人たちが冷静な分析もせずに鵜呑みして大絶賛したり、あげくの果てに小中学校の道徳の授業で子供たちに読ませたりしている現実には目の前が暗くなりました。

そういえば、私の周囲ので風評や不安感情に流された行動をしている大人(ほとんどが育児中のママ)たちのおっしゃる事も、ほぼ同じ主張です。
日本人は全体主義志向が強く、均質で不変な社会を好む傾向があるので、「今と同じ生活が何のリスクもなくいつまでも続くはず」といった絶対にあり得ない幻想を「当たり前」だと思い込んでいる節があるんでしょうが・・・
少しでもリスクがある可能性を提示されただけで短絡的な感情に流されては思考停止してしまい、「自分なりに情報を取捨選択したり咀嚼して判断をする」といった行為を放棄してしまう大人が多すぎです。

せめて我が子たちがそういった「短絡的な大衆」になってしまわぬよう、物事の考え方や取り組み方を教えてあげられるようになりたいです。