2014.01.23

雑想 : イルカ猟の是非についての議論に思う

イルカは知性が高いから反対、という考え方は俺としては気持ち悪い。じゃあ知性が低ければ良いのか、と。それって生物種差別だよね>茂木健一郎さんの連続ツイート第1149回「イルカ漁に、「私」は反対」 http://togetter.com/li/618415

知性が高いとされる生物を特別視するのは、その根底には、人間は知性が高いから特別だ、っていう考え方があるように思えて気持ち悪い。それって奢りだよ。

家畜の屠殺も、かなり残酷なことだという話も聞く。何せ、美味しく食べるためには血をなるべく綺麗に抜く必要があり、心臓が動いてる状態でどんどん出血させるわけなので。

俺は釣りをするし、釣った魚を食べるし、美味しく食べるためには血抜きもする。即死させないように、血がなるべくいっぱい出るようにナイフを入れる。これも牛や豚の屠殺と同様に残虐な行為だけども、牛や豚の屠殺を問題視して魚の血抜きを問題視しないのは差別だろうね。

知性が高い生物を殺すのは残酷だからやめろ、というような差別的意見の背景にはね。実は、食べるために殺される動物のことを本当に思ってそう言っているのではなく、人間である自分たちが不快な思いをするからやめろ、という人間側の都合があるのかもしれない、と俺は思っている。

「山賊ダイアリー」オススメ。若い新米猟師さんの実録漫画。あの人の、生物と向き合う姿勢には感心します。残酷だからやめろという、自分の手を汚したくない人々には、生物を殺して食べるということがどういうことなのか、見えてこないんじゃ無いかと。この作品を読むとそう思う。

「善い人間になりたい」的な発想が良くないのかもね。言い換えれば「自分の手を汚したくない」ってことでは? 甘いね。動物も植物も皆かけがえのない命を持っているし、人はそれらを食べて生きるしかない。たとえ自分の手で直接殺さないとしても、その原罪からは逃れられない。

その原罪を認めて、それから逃げることをやめてこそ、変な差別的考え方を捨てて、もっとフェアなバランス感覚を持って命と接していくことができるのかもね、と俺は思う。

とはいえこういう俺の考え方も、一連のツイートの最初で「気持ち悪い」と言っているように、多分結構感情論なんだろうと思うよ。命の重さは科学では測れないわけで、こういう話にはどうしても感情論が混じってくる。この点は忘れないようにしたいものです。

茂木さんのツイート http://togetter.com/li/618415 から引用すると、「高い知性、自己意識を持った生命体を殺す猟法を避ける、というのは(略)、一つの科学的立場」。ああ気持ち悪い。

とはいえ、知性による生物の優劣を論じるのでは無く、「そうした方が、人間社会がうまく回る」ということを分析するのは、大切な科学なんじゃないか、とも思う。結局、こういう議論の目指すところはそこなんだろうね。いかに人間の感情をコントロールしていくか、という科学。

茂木さんのツイートは言葉足らずで、科学的立場というのがどういう根拠で何を目指すものかまではわからないけれども。あえて曖昧にすることで多様な議論を生むきっかけを作ろうとしている...のか? 好意的に解釈すればね。とりあえず、俺としてはあまり好きな人物ではないです。

イルカ猟について「嫌悪感を持つ人が多いから、人間社会をスムーズに回すためには止めるべき」というのは、ひとつの意見としてはありだろうけど、俺としてはこれは例え短期的にはうまく行っても、長期的には悪い影響に繋がる気がするので反対です。

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