雑想
Entry List

2014.01.23

イルカ猟の是非についての議論に思う

イルカは知性が高いから反対、という考え方は俺としては気持ち悪い。じゃあ知性が低ければ良いのか、と。それって生物種差別だよね>茂木健一郎さんの連続ツイート第1149回「イルカ漁に、「私」は反対」 http://togetter.com/li/618415

イルカ猟の是非についての議論に思う

2014.01.14

エンターテインメント : 映画「永遠の0」に不快感

映画「永遠の0」観てきました。私にとっては不快な映画でした。とても。

映画「永遠の0」に不快感

2013.04.28

俺の基本思想のベースが仏教だったということに今更気付いた

そして何故その思想に至ったか、というと、実は幼少期の祖母の教えだったと今更気付いた。ネガティブツイートも少なからず含みますが、そういった側面も俺の一部ってことで。 (※魚津しんきろうマラソン参加後につぶやいた連ツイートのまとめ)

2013.04.23

イカ釣り漁船の装備の古臭さ

燃料費高騰に伴うイカ釣り漁船のコスト増大問題がニュースになってますが、この問題の一因としては、漁船の装備の古くささがある。つまり、イカ釣りの漁火がいかに古くさくて非効率なシステムか、という点は知っておくべき。光の半分が空に捨てられ、下向きの光もその多くが甲板で反射され、水面で反射され、水中で吸収され、漁に寄与してるのは本当に微々たる割合。

イカ釣り漁船の装備の古臭さ

2012.10.08

エンターテインメント : 「人類は衰退しました」の序章としての「銀色ふわり」

1008_FuwariCover.jpg

有沢まみずさんによる「銀色ふわり」 (電撃文庫) という小説 (ラノベ) 読みました。(レビュー、書評、感想)これは典型的ないわゆる「セカイ系」 (というらしい。意味が気になる人は各自でググろう) に分類されるボーイ・ミーツ・ガールもの。冬を舞台に、美しい情景描写と併せて静かに進んでいく感じが好き。タイトルと表紙絵が内容をよく表していると思いますので、表紙が気になったら買いです。

現在のところ1巻のみが発売されています。しかし1巻で完結というわけではなく、あとがきによると続編の構想もあったようなんです。でも発売からもう数年経ってるのに残念ながら未だ続巻なし。ただし、この1巻だけでもよくまとまっていますし、足りない部分は妄想で補えばOKかな。でも続編いつか出るなら読みたい。ぜひ読みたい。

この「銀色ふわり」は、SF作品なのですが、そのSF設定からは、「人類は衰退しました」を強く連想させれました。作者も違いますし、直接的には何ら関連の無い作品ですが、この2作の繋がりについて勝手に妄想してみることにします。以下ネタバレ&長文注意。さて、「人類は衰退しました」とは。

「人類は衰退しました」の序章としての「銀色ふわり」

2012.03.31

ランニング : スローライフを堂々と! ~ランニング始めました~

さて今年は年始に風邪引いて、症状は軽かったのにそれが何故か長引いて回復まで40日もかかったわけで。その間仕事はお休み。それ以前から仕事がうまくいっていなかったこともあって変に欝入ってしまって。

ま、その仕事は潮時だと思いましたし、結局辞めることにして、今は別の仕事を少し始めてみたけどまだまだ収入はわずか、という状況。そんな中でも気持ちだけは前向きに生きよう、風邪に負けないように体力もつけよう、ということで、風邪から回復した2月下旬からランニング始めました。ランニングのようなリズム運動は、気持ちを前向きにする上ではとても有効なんだそうで。

スローライフを堂々と! ~ランニング始めました~

2012.02.12

エンターテインメント : アニメ「あの花」の聖地巡礼・微速度動画が素晴らしい! (星空含む)

「あの花」とは、TVアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」のこと。内容としては、幼少の頃の仲良し6人組は、そのうち1人が遠くに旅立ったことをきっかけにバラバラになり、高校生になった今は、すっかり疎遠になっていた。しかし、遠くに行っていたその1人がある日突然戻ってきたことをきっかけに、失われていた絆を再び築いていく、という友情と恋の物語。こう書くとめっちゃベタでクサいですが、本当に純粋で、本当にベタなお話。全11話と短めなので見易いと思います。今回のブログ記事はネタバレ無しで書いてあります。

「とらドラ!」のメインスタッフ3人が手掛けたオリジナルアニメということでレンタルで借りて見てみましたが、良かったです。公式サイトに掲載されているプロモーションビデオ第1弾が素晴らしい出来なので、まずはそれを見てみることをお勧めします。

そしてこの作品は、埼玉県の秩父が舞台となっており、実在の風景が多数登場します。その秩父の複数の聖地で微速度撮影を行ない、全1万コマ超の撮影で作られたのがこの動画。いやー素晴らしい。そして懐かしい。秩父は、何度も星見に行ったことがある思い出深い場所。

アニメ「あの花」の聖地巡礼・微速度動画が素晴らしい! (星空含む)

2012.01.21

エンターテインメント : 小説「とらドラ!」に、世の夢と現を想う

小風邪が長引き、仕事も進まず、ちょっと欝入ってます。本格的に体調崩すと非常にまずいのでなるべく布団に潜り込んで安静に努めていましたが、何もしないよりはせめて本読もう、と小説「とらドラ!」読んでました。これ読むと自分の過去の色んなことがリアルな気持ちごと思い出されてしまった。特に5巻以降が面白いがその高いクオリティゆえに心傷を負いかねない本かも。



人間は誰でも、幸せを夢見るだろう。しかし、

『人生、おもいどおりにはなんねーぞ!!!』(小説「とらドラ8!」)


なのだ。だから、人は、他人の中に、あるいは物語の中に、自分には実現できないであろう幸せを夢見る。

「とらドラ!」(作: 竹宮ゆゆこ) は、ラブコメというジャンルのライトノベル (本編 全10巻 完結+スピンオフ3巻) であり、またそれを原作とするアニメーション作品 (全25話) である。

ラブコメには「お約束」がある。それは、「ハッピーエンドで終わるラブストーリー」だということだ。

小説「とらドラ!」に、世の夢と現を想う

2012.01.11

エンターテインメント : アニメ「とらドラ!」の星空

toradra25-01.jpg

「とらドラ!」なるラブコメアニメを見た。深夜にCS付けたらたまたまやってて、どうやら不機嫌女子萌え属性があるらしい俺はすっかりハマって、動画配信サイト「ShowTime」の有料配信でつい全話見てしまった。ShowTimeでは、第1話は会員無料、全25話の30日パックが1,764円

タイトルの「とらドラ!」とは、「虎と竜」の意味。虎とは、ヒロインの小柄な凶暴美少女「手乗りタイガー」こと逢坂大河のことであり、竜とは主人公の高須竜児のこと。

不機嫌女子...とはつまりツンデレでいいのかな? でも他の作品いわゆるツンデレキャラにはあまり萌えないかも。とらドラの大河の場合、主人公に対してはデレを見せることはあんまり無くて、その代わりに陰を見せる。そういうところに萌えますな。

この作品の星空のシーンが秀逸だったのでキャプ付きで紹介したい。

「とらドラ!」 第15話「星は、遠く」より

アニメ「とらドラ!」の星空

2012.01.01

気が重い2012年

2011年はもう、あっという間に終わったという印象。新しい契約先と仕事をしてきたけれども、全く結果に繋がらず、今の仕事は正直、もう潮時って感じ。一時的に無収入になることも覚悟せねば。失業保険など出ないし、貯金も皆無。気が重い。しかし昨年は結果には繋がらなかったものの経験は積めた年。その経験をうまく活かすことができれば、2012年は躍進の年に・・・できるかも?

2011.12.18

インディカー ダン・ウェルドン死亡事故の調査報告書

今年10/17(日)、ラスヴェガス・モータースピードウェイにて開催されたインディカー・シリーズ2011年最終戦において15台が絡むマルチクラッシュが発生し、ダン・ウェルドン選手が死亡する事故がありました。この度、その調査報告書が発表されました。

インディカー ダン・ウェルドン死亡事故の調査報告書

2011.10.24

俺は二輪車が嫌いである。バイクも自転車も。

俺は二輪車が嫌いである。バイクや自転車には決して乗らない。自動車は必要に応じて乗るが、徒歩で充分な場合はなるべく徒歩で移動することを好む。

俺は二輪車が嫌いである。バイクも自転車も。

2011.10.21

カーレース中の死亡事故を受けて、全ての人が再認識すべきこと

先日のインディカーレース中、ダン・ウェルドン選手が亡くなるという悲劇が起こりました。これを受け、日本国内においてインディカー・レースの中継をしているGAORAの実況スタッフのブログ「こちらGAORA INDYCAR実況室」に、インディカーの安全性に関する各種の記事が掲載されています。とても興味深い内容ですので、ぜひご一読を。

カーレース中の死亡事故を受けて、全ての人が再認識すべきこと

2011.10.17

インディカー・シリーズ2011年最終戦で死亡事故

日本時間10/17(日)午前4:45からラスベガス・モータースピードウェイ (1.5マイル Dシェイプ ハイバンク オーバルコース) で行なわれた、2011年インディカー・シリーズ最終戦には、何と34台が出走。2.5マイルのオーバルコースであるインディアナポリス・モータースピードウェイで開催されているインディ500には例年33台が出走するが、1.5マイルのオーバルコースで今回のような多数台が出走するのは異例のことだった。

インディカー・シリーズ2011年最終戦で死亡事故

2011.09.14

釣り : 岩瀬漁港にて釣り人の死亡事故

富山県富山市の岩瀬漁港にて釣り人の死亡事故が発生しました。残念なことに、富山県内では毎年のように釣り人の死亡事故の話を聞きます。今回死亡事故があった岩瀬漁港は人気ポイントの一つなのですが、その漁港のどこで事故があったかというと、ニュース映像がありました:

岩瀬漁港にて釣り人の死亡事故

2011.07.15

過剰な照明と、明るすぎる液晶テレビ

エアコンの設定温度を2℃上げるより、テレビを消す方が4倍も省エネ効果がある、という話が。

液晶といえば省エネのはずなのに、そういえば今時のテレビの消費電力って結構大きいよなぁ。このことを改めて思ってみてまずびっくり。何故こんなに消費電力が大きいかというと、液晶そのものは電力をあまり食わないけど、バックライトの消費電力が大きいからですね。そして、バックライトを暗めにすることで節電になるわけですが、

過剰な照明と、明るすぎる液晶テレビ

2011.03.29

生きるということは、毒物を摂取し続けること

中学生アイドルの書いたブログ記事が話題になっていますね:

この記事、一見冷静で論理的に見えて、根拠のない思い込みが随所にある。中学生としてはがんばってるとは思うが、過大評価は禁物。

中学生でここまでの考えを持っているのは素晴らしいことですし、今後の成長に期待したいですね。

ただ・・・、冷静な分析をせず、安易な称賛を添えて拡散した、一部の有名人ツイッタラーにはあきれます。


件のブログに見られる根拠の無い思い込みですが、例えば、

生きるということは、毒物を摂取し続けること

2011.03.23

宮城県石巻市・渡波海岸の防波堤は津波を食い止めた? 高解像度航空写真で検証

今回の東日本大震災で津波の被害を受けた各所では、津波に備えた強固な防波堤が脆くも崩れ去ったことが報じられています。

そんな中にあって、被害が大きかった宮城県石巻市においても、渡波海岸の防波堤はその効果を発揮し、被害を最小限に食い留めたらしい、という情報を目にしました:

そこで、これが果たして真実かどうか、その検証の参考となる画像を用意してみました。

宮城県石巻市・渡波海岸の防波堤は津波を食い止めた? 高解像度航空写真で検証

2011.03.17

現地では今、ボランティアが必要。阪神震災とは違う実情をNPOが指摘?

政府見解やマスコミの報道とは異なり、NPO ユニバーサルデザイン研究機構が、現地では今、ボランティアが必要とされているという指摘を行なっています。

被災地では、自治体の機能が完全に失われた地区が多くあり、そういった地区には、政府経由での救援物資が届きにくいという現状があるということです。

現地では今、ボランティアが必要。阪神震災とは違う実情をNPOが指摘?

2011.03.16

震災救助活動応援歌、アンパンマンのマーチ

君はスーパーマンやウルトラマンにはなれない。

でも、君はアンパンマンにはなれるかもしれない。

日本語歌詞、および英語対訳付き。
英語対訳は拙訳につき、正確ではない部分もあるかも。

各地の自治体、各地のNPO等が、救難物資の寄付を受け付けています。その一部を紹介します:

2011.01.26

「仰げば尊し」原曲歌詞の歌える日本語訳を作ってみた

卒業式ソング「仰げば尊し」の原曲および原詩が判明したらしい。19世紀のアメリカの曲で、原題は "Song for the Close of School"、ずばり「卒業の歌」で、日本版同様に卒業式ソングらしい:

この原曲の歌詞の、歌える日本語訳を作ってみた:

「仰げば尊し」原曲歌詞の歌える日本語訳を作ってみた

2011.01.24

BBCがコメディ番組で原爆被害者を笑いの種に...番組全容は?

BBCがコメディ番組で原爆被害者を笑いの種にしたという話、TVの報道で知ったときはけしからんと思ったけれども、そのコメディ番組の内容の全容はこうだったらしい:

BBCがコメディ番組で原爆被害者を笑いの種に...番組全容は?

2010.12.23

サンタクロースは存在する

サンタは存在するか。一般的には居ない、という考えが主流。でも私はある意味では確かに存在すると思ってる。公認サンタが居るから、という理由ではない。サンタクロースの伝説が、クリスマスにプレゼントを渡す習慣を産んでいるなら、サンタがプレゼントを配ってるのと同じこと。

サンタが空を飛んでプレゼントを配る、というのは、子供のための伝説に過ぎないけど、このサンタの伝説が、人々にプレゼントを渡すという気持ちを植えつけているのは紛れもない真実。このように人の心を動かす存在は、一種の実在じゃないかな。同様に、神も仏も確かに存在する。

一昔前に流行った哲学の入門小説「ソフィーの世界」の締めがそういう話だったんだよね。物語の中の登場人物たちが、現実世界に飛び出て、現実世界に影響を与えちゃうという。架空の存在と、物理的存在。その違いって、実は小さいのかも。同様に、死者と生者との違いも。

生きている人以上に、人の行動に大きな影響を与えている死者というのは、普通に存在している。死者本人にとっての命は終わってるかもしれないが、他の人から見たその人の命というのには、終わりがない。久々に初代「ヤマト」のTVアニメ版通して見たら、そんな話もあった。

2010.09.20

釣り : のとじま水族館&海釣りセンター

のとじま水族館と、それに併設されている海釣りセンターに行ってきました。

富山県高岡市の我が家からは、車で片道1時間半の距離。今日はたまたま「ツール・ド・のと」というサイクリング大会の開催日で、道中では対向車線に何百台もの自転車が列をなして走行していました。長距離を長時間占有するわけにもいかないため、一般車両も走る中でしたので、一般車両にとってはいい迷惑ですし、自転車を追い越そうとする車とこちらの車がすれ違う際は、少々危なっかしくも思えました。そんな中ですので、大会参加者は当然、全員がしっかりヘルメット着用。こういう姿を見て、普段から普通に自転車を乗る際でもヘルメットを着用する人が増えると良いですね。

自転車の死亡事故は多いですが、その中では、ヘルメットを着用していれば助かったかもしれない例も多いと思います。自転車に乗る際は、ヘルメットを着用しないのが当たり前、という悪しき常識が、人を殺しています。そういう悪しき常識に安易に従ってしまっている人たちは、ある意味では皆、人殺しと言えるのかもしれませんね。そういう悪しき常識に従っている人たち一人一人が、その常識を常識のまま維持することに協力しているわけですから。

普段でも、自転車通学中の中学生とかは、校則で義務付けられていることもあって、ほぼ全員がちゃんとヘルメットを着用しています。安全上必要だからそうしているわけですし、そうできています。一部には、私服の際もちゃんとヘルメットを着用している中学生も見かけますね。しかし、それは中学生だけです。中学を卒業すると着用しなくなる人がほぼ全員だと思いますが、中学を卒業したからといって必要無くなるものではないでしょう。むしろ、大人が率先して着用すべき。中学生でもできること。大人もできて当然ですし、やるべきことです。でも、自転車で巡回中のおまわりさんすら着用していませんよね。本当、おかしいですよ。この国は、おまわりさんまで人殺しの一味なんでしょうかね。

少々毒の多い話になってしまいましたが、私は言い過ぎだとは全く思いません。ヘルメットを着用する、この程度のことで守れる命が少なからずあるのに、そうしない人があまりに多いのが不思議かつ悲しくて。髪型が崩れるのが嫌、というのがその理由の一つらしいですが・・・頭悪すぎる。だからつまんない事故で死んでしまうわけですよ。そういう事故死に、同情の余地はありません。ですので、安易に同情してはいけないと考えています。

0920_noto.JPG

話を戻します。能登島の海といえばこんな風景。静かな海に、釣り用の筏が浮かんでいます。写真に写っている筏は2つだけですが、同様の筏は各所にいっぱいありました。いずれ一度は行ってみたいな。

さて、のとじま水族館は去る今年8月20日に新しい目玉施設がオープンしたばかりで、入館後最初に入るのが、その施設になっていました。

のとじま水族館&海釣りセンター

2010.09.04

釣り : 富山市で釣り人が落水して死亡

富山県内で今朝、釣り人の落水死亡事故があった。現場は富山市水橋の白岩川河口右岸の防波堤。行ったことはないけど、写真で見る限りでは足場が良いように見える。

足場の良い場所でも死亡事故は多い。堤防って、落ちると簡単には登れない。足場の良い場所でもライフジャケットを。単独釣行の場合は特に。最近釣れないからか、自分以外は他に誰も居ないってことも多いし。

私は常時着用してますよ。安全対策というだけでなく、ポケットに色々突っ込んでるから、無いと不便だったりも。ゴツい奴なんで夏場は暑いけど、炎天下だと日光を遮断することもあってか、思った程でもない。

ただ、ライジャケがあれば必ず助かるわけではない。荒れた磯で落水して、必死で這い上がろうとして、手がボロボロになったあげく力尽きて死んでしまった、なんて事故も聞く。

私は磯には行かないけどテトラには乗る。落水したならともかく、テトラの間に転げ落ちたら、身動きできないかもね。電話もできないかも。それでもテトラでの釣りはやめられない。まーどっか頭おかしいんだろう。俺も。

ノーヘルメットで自転車に乗るという大罪

ヘルメットさえあれば助かったかも知れない自転車事故死は多いが、ヘルメットを被らずに自転車に乗る全ての馬鹿は、それらの死に対し責任がある。周りがヘルメットを被らない馬鹿ばかりだから、それに合わせてしまう馬鹿もまた多い。あなたのその行動も、周囲に影響を与えている。

ヘルメットを被らずに自転車に乗る人がほとんどだから、ヘルメットを被らずに事故で死んでも、死んだ奴は何も悪くない。そう強く主張していたキチガイが居た。こういう人は本当に救えないと思う。救えないとは、文字通り、自分の命を守る力がない人という意味。

スクーターではヘルメットを被るのは当然だが、自転車とスクーターでは走行速度に大差は無いのでは? たとえ自損事故でも、大怪我や時には死に至るのが自転車という乗り物。ヘルメットがあれば必ず助かるというわけではないものの、ヘルメットぐらい被って欲しい。

自転車に乗る際にヘルメットを被らないというのは、命を粗末にするという大罪だと思うね。それが普通であってはいけないと思うけど、みんなきっと頭がおかしいんだろうね。

自転車に乗る際にヘルメットを被らない親が、自分の子供に対しノーヘルで自転車にのることを普通に許してしまった結果、子供がヘルメットさえあれば助かったかも知れない自転車事故で死んでしまった。よくあること。ヘルメットを被らない人は誰もがその親の立場になり得る。

自転車にヘルメットは、法律で義務化すべきかも知れないが、現実的に言って無理だろう。警察の対応能力を超過してしまうので。各自の判断で、自らの命を、自分の子供の命を、守るために行動して欲しい。

今でも覚えてるなぁ。中学時代、女生徒が自転車で交通事故に遭ったけど、ヘルメットのおかげで九死に一生を得たという話。ヘルメットを被らずに死んだ馬鹿の話なんかより、ヘルメットのおかげで助かったという話をニュースで流すようにすれば、ヘルメットの普及率も高まるのかも。

2010.08.27

議論ができない日本人

先日 mixi で交通安全への考え方を巡って口論になったが、議論らしい議論にはならなかった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551892522&owner_id=27477668

この件が未だにモヤモヤしている。

日本人って、議論ができない馬鹿が多いんだな、とつくづく思う。議論することって、相手を論破して打ち負かすことだ、と勘違いしてるんだろうね。

議論ができない日本人

2010.07.14

ヘルメット被れよ!

傷害:遊歩道にロープ 自転車の女子高生、転倒し重傷--千葉・印西

こういういたずらは許せないが、ヘルメットを被ってなかったせいで被害が大きくなったという側面も大きい。

自分は夜間道を歩いていた際、障害物が見えずに思いっきりつまずいてコケたことがある。特に怪我はなかったが、自転車だったら大怪我したり死んでた可能性すらあるだろう。自転車での転倒による大怪我や死亡事故は普通にある。普通にあるからあまりニュースにならないが。

だからね、ヘルメットぐらい普通に被ろうよ。自転車が怖い乗り物であるという認識がない馬鹿が日本には多すぎる。今回の女子高生も含めて。ヘルメット被らずに自転車乗るなんて、自分の感覚では自殺志願ぐらいに思えてしまう。

まずは大人が率先して被っていこう。それが当たり前である社会を少しづつ作っていくべきだ。本当は法律で義務化すべきなんだろうが、それが難しいというのが実に悲しい。生徒の命を預かる立場にある中学教師の友人にその話をしたことがあるが、あまり関心がないようであったし、本人もヘルメットは被りたくないらしい。なんとも情けない。

ちなみに私は自転車には一切乗りません。中学時代は片道2.5km、高校時代は片道4kmを徒歩で通学してましたよ。寝坊が多かったので朝は走ってたことの方が多かったかな(^^; 自転車が恐ろしい乗り物である以上、正しい選択だったと思います。

道を歩いたり走ったりする以上は、乗り物を使っても使わなくても事故の危険は常にありますが、しかしやはり徒歩が一番安全であると私は思っています。

実際のところ、少々の不便を我慢すれば、自転車も自動車も使わなくても良い場面は多いのですよ。どっちも怖い乗り物なので、使用は必要最小限にしていきたいものです。

2010.05.29

アンパンマンは実在する!

アンパンマン・マーチのフルバージョン。まずはぜひこれを通して聞いてみて欲しい。これは決して子供向けの歌ではない。作詩家でありアンパンマンの作者でもあるやなせたかしさんは自身も戦地に赴いた身であるし、弟さんは特攻隊として戦死されたという。そういう体験を背景に生み出されたのが、このアンパンマン・マーチだ。アンパンマン・マーチに使われている言葉は全て、やなせたかしさんとその弟さんとの間で交わされたものだったという。

そう思うとこの映像も、なんとも恐ろしいものがある。この映像には花火が多用されている。花火は美しいものではあるが、それだけではない。花火はいわば戦火の象徴であり、戦争を忘れないという、鎮魂の意味が込められている。日本各地で夏に開催される華やかな花火大会の多くには、二次大戦での戦死者への慰霊という目的があるのだ。

この映像では、花火の中を編隊を組んで飛ぶアンパンマン達の姿が、対空砲火をかいくぐって飛ぶ軍用機の姿とかぶる。しかし、戦争では軍用機は命を賭して爆弾を運んだが、アンパンマンは食料を運んでいる。たとえ食料を与えた結果、自身が危機に陥ることになっても。

アンパンマンに込められた平和への願い。「食足世平」という言葉が連想される。これは、

アンパンマンは実在する!

2010.03.23

「千の風」問題に見る Twitter の怖さ・・・

数日前、Twitter 上に以下のような文がパッと広まった。

新井満『千の風になって』の背後には、こんなことがあったのか。本当なら許されないことだよなあ。http://blog.greetings.jp/?eid=98

軽く調べてみた限りでは、どうも 館 淳一 (@jun1_tate) 氏の発言 (※この人物の職業柄、背景画像が凄いので注意!) を、いしかわじゅん (@ishikawajun) 氏がRT (再送信) した結果、パッと広まったようだ。(3/24追記) ジャーナリストの佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 氏なんかも、南風椎氏に同調的と解釈できるコメントと共に、この連鎖に加わっている。(3/24追記はここまで)

この Twitter 上でパッと広まったつぶやきのリンク先のブログ記事の内容は、個人的には、中立性を全く欠いた愚文であると思っている。私が考える主な問題点は、以下の3点だ:

「千の風」問題に見る Twitter の怖さ・・・

2010.03.12

「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...

Twitter でも話題にのぼっていたが、「千の風」の翻訳をめぐって、南風椎氏が新井満氏を叫弾している。南風椎氏は、英語詩 "Do not stand at my grave and weep" (もしくは "A thousand winds") を、『1000の風』という邦題で初めて日本語訳し、書籍化した方だ。この詩が書籍化されたのは、南風椎氏のものが日本初というだけでなくおそらく世界初なのだという。

"Do not stand at my grave and weep" の翻訳としては後発である新井満氏の『千の風になって』が有名だけど、新井満氏の訳は一種の超訳であり、対する南風椎氏のものは出来る限り素直な直訳という形になっている。

このように原詩が同じでも翻訳形態がまるっきり異なるわけだが、南風椎氏が言うには、新井満氏の翻訳は南風椎氏の翻訳のパクリなのだという・・・。

南風椎の「森の日記」より:

「1000の風」が「千の風」になっているだけ。あとは、ぼくの訳詩の言葉の順番を変えたり、省略したりしているだけの詩に思えた。

私は当ブログで『「千の風になって」原詩の原詩 (A hidden message in Do not stand at my grave and weep)』として、"Do not stand at my grave and weep" の作者と言われているメアリー・フライさんのバージョンを紹介させて頂いていることもあり、この件に関してコメントさせて頂きたいと思う。

ちなみに、メアリー・フライさんのバージョンを紹介している国内ウェブページとしてはオーママミアさんの『「千の風になって」の詩の原作者について』がおそらく最も知られている思われ、公開時期も私の記事より先行している。

新井満『千の風になって』は南風椎『1000の風』のパクリ!?

「千の風」問題。新井満氏は酷いが南風椎氏の主張もまた変...

2009.12.30

命の定義とは?

命の定義とはなんだろう。まず語るべきは、生物と無生物との境界とは? という命題だろうか。

生物と無生物との境界とは?

そこで登場するのが、ウイルスという存在だ。ウイルスは、他の生物の細胞を利用して、自己を複製することができる存在だ。しかし、自力での自己複製はできない。それだけでなく、ウイルスは、代謝を行なわない。つまり、単体として存在するときは、完全に静的な存在であり、何らの活動も行わない。他の生物の細胞に侵入し、それを利用して自己複製する過程も、あるいは突然変異による変化も、純粋に化学的反応によるもので、自発的な活動らしきものは一切やらない。

そこで、現在の生物学上では、ウイルスでは生物ではなく無生物であるとされている。が、しかしこれはあくまで現段階における便宜上の位置づけに過ぎない。生物ではないものの、生物学的存在ではある、とか言われたりもする。結局、現在の科学においては、生物と無生物の境界については、どう定義すべきかよくわかっていない、というのが現状のようだ。

ガイア理論──地球は生きている?

命の定義とは?

2009.12.28

生きるということは綺麗事ではない

当たり前の話ではあるが、生きるということは綺麗事ではない。生きるためには、食べるため、あるいは自分の身を守るため、その他様々な理由で、他の生物の命を奪わざるを得ない。これはもちろん、人に限った話ではない。一見は平和的に見えるごく一般的な植物でさえ、病原体や害虫に対しては、農薬に似た物質を作り出して対抗する防御機構を持っていたりもする。この植物が自然に作り出す農薬様物質には、化学農薬と同様に発ガン性がある。だから無農薬栽培の野菜なら綺麗・安全、ということはなく、むしろ農薬に守られて育ったものより高い発ガン性を持つことすらあるという。また、雑草が農作物の成長を妨げるように、植物同士での生存競争もある。植物も、自らが生きるために、他者を殺しているのだ。

人は時に、自らが綺麗でありたいと願う。そのために、煩悩を絶ち、禁欲し、肉食・魚食を絶って菜食して精進する、というような生き方を選択したりもする。しかし、それが動物であれ植物であれ、命は命だ。植物の命が動物の命より軽いということはないだろう。植物を食べる場合は、植物の種類にもよるが、動物の場合と違って、必ずしもひとつの個体全体を殺す必要はなく、食べる部分だけを切り出して食べることもできる。だが、多細胞生物は、多くの生物の共生体である。ひとつの個体全体にも命は宿るし、個々の細胞にも命は宿る。どういう形であれ、命を奪って糧とする、という点は、等しく変りないと思う。

鯨のような、高い知能を持つ生物を食することを忌み嫌う人もいる。しかし知性の高低と、命の価値とを客観的に関連付けることは不可能だろう。ではなぜ、高い知能を持つ生物を食することを忌み嫌うののだろうか。それは結局、人間は高い知能を持つから特別の存在であって欲しい、という気持ちの裏返しに過ぎ無いのかもしれない。要するに、これは差別である。

生きるということは綺麗事ではない

2007.11.20

科学の本質って

今の科学というものは、結局は世界のモデル化に過ぎないのだろう。

つまり、これこれこう考えれば、色々な物事を矛盾無く合理的に説明できるし、予測と結果も一致する。よかったよかった、という話だ。

でも、合理的な説明ができたからといって、それが物事の本質をちゃんと表していると言えるのか、といえば、必ずしもそうとは言えないと思う。そんなのは実は表面的な理解に過ぎず、本質とはほど遠い可能性だって大きいんじゃないだろうか。

科学の本質って

2007.01.11

食足世平 (Peace will come to the world when the people have enough to eat)

食足世平。今月5日に亡くなった日清食品の創業者にしてチキンラーメン、カップヌードルの発明者、安藤百福さんの言葉。食が足りてこそ世の中が平和になる、という意味だ。

この言葉を目にして、少し前にやっていた、カップヌードルのTVCMを思い出した。国際宇宙ステーションの搭乗員が、カップヌードル (の宇宙版のスペースラム) を食べる。そして眼下に広がる地球を小さな窓から眺める。そして「NO BORDER」の文字。(YouTube動画)

氏の発明したカップ麺は、どれだけの人の命を救ったのだろう。世界における紛争や災害時に援助物資として日本から送られたカップ麺の数は知れない。手元のコミック版プロジェクトXによると、阪神大震災のときには162万食。ソ連崩壊の際には136万食。インドネシア・ティモール紛争のときには250万食。台湾大震災のときには5万食が送られたという。

一杯のカップ麺を食べるとき、そこに込められた世界平和への願いを忘れないようにしたい。氏のご冥福をお祈りします。

"食足世平" is a word by Momofuku Ando, the inventor of instant noodle, who passed away early in this month. This word means, "Peace will come to the world when the people have enough to eat".

I remember a TVCM of Nissin Cup Noodle that was seen in Japan. A crew of International Space Station eats Space Ram (space version of Cup Noodle), with seeing the Earth from a small window of ISS. Finally, telop of "NO BORDER" appears. (see it on YouTube)

I wonder that how many lives have been saved by his wonderful invention. Government of Japan has been sending instant noodle for conflict-affected regions and disaster areas in the world. For example, 1.62 millions for Great Hanshin Earthquake in Japan, 1.36 millions for Soviet breakup, 2.5 millions for confliction at Timor, and 50 thousands for Great Taiwan Earthquake.

May his soul rest in peace, with all my respect to his wish for the peace of the Earth, as seen in his instant noodle.

リンク ~ Link

2006.07.16

「千の風になって」原詩の原詩

「千の風になって」という詩をご存知でしょうか。「私のお墓の前で泣かないで下さい/そこに私はいません、眠ってなんかいません/千の風に、千の風になって/あの大きな空を、吹きわたっています」という詩をきっとどこかで目にしたことがあると思います。これは、作者不詳の英語詩を作家の新井 満さんが和訳したものです。日本語詩の全文 (新井 満さんの公式サイト内のページにリンクしています)

新井 満さんは、この日本語詩に曲もつけており、新井 満さんご本人の他、テノール歌手の秋川雅史さんや、同じくテノール歌手の新垣 勉さんらによって歌われていますので、テレビやラジオで聞いたことがある方も多いかもしれません。

この日本語詩ですが、原詩とは結構内容を変えてあったりします。新井 満さんご本人も一種の超訳だと言っておられるようです。歌の歌詞として使うことを前提とした訳、という都合もあるみたいですね。新井 満さんの本で紹介されている原詩は次のようなものです。

a thousand winds
Author Unknown

Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumun's rain.

When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.

Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.

weep -> sleep, blow -> snow のように韻を踏んだ美しい英文です。声に出して読んでみるとより味わい深いでしょう。

この原詩の日本語訳としては、南風 椎さんによる「1000の風」もよく知られています。南風 椎さんの日本語訳詩は、新井 満さんのものとは異なり、素直かつ正確な直訳になっています。こちらも全文を紹介したかったのですが、無断転載はできませんし、正式な許可を得て転載していると思われるウェッブページも見つかりませんでしたので断念。(2010年3月、南風椎氏のブログに全文掲載されました)

ところでこの原詩、実は大元の原詩、いわば原詩の原詩とはかなり異なるようです。

この英語詩、英語圏においても長らく作者不詳とされていたようですですが、Alan Chapman さんによるウェッブページ (英文) によると、今ではメアリー・フライ(Mary Frye, マリー・フライ)さんというアメリカの女性が1932年に作詩したものという説がほぼ確実なのだとか (ただし100%確実、というわけではない模様)。それが口コミのような形で伝えられていくうちに、内容も微妙に変わっていき、新井さんの本で紹介されているものが最も良く知られるバージョンのひとつになったようです。

そのメアリー・フライさんご本人によって、元々のバージョンだと確認されているという原詩、つまり原詩の原詩が、次のようなものだそうです。ちなみに、無題の詩です・・・

According to a webpage written by Alan Chapman, it seems that this well known poem above was originally written by Mary Frye. And following is her origial version...

「千の風になって」原詩の原詩

2006.06.30

夢は未来に成る~松本零士先生トークショーより (2chより転載)

2ch掲示板の懐かし漫画板に松本零士先生のトークショーのレポを書いてくれた人がいたのですが、なかなか面白かったので抜粋して紹介。

全文はこちら: 松本零士作品を語り合うスレ 三巻
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1106335226/927-937

  ・現在いろいろな仕事が止まっているのは、自宅の資料室で温水線断裂事故が発生したため。
  →もうちょっとで再開予定。

  ・昔も今も昆虫漫画(昆虫の視点の漫画)が描きたい。
  →最近とある編集部からオファーが。

  ・蛍をみると女性を連想する。
  →以前虫研究家と一緒に仕事をしたとき、蛍の挿絵に紀貫之の句を載せたが、発刊時に削除されていた。

  ・小さいときからアメコミの翻訳をしていた。
  →英語の成績は非常に悪かったが、台詞の翻訳は正確だった。

  ・(前項の飛行機がらみの)亡くなった友人と愛猫ミー(ミィ?)君への言葉の話。
  →「時の接するところで、また我の元に来たれ」等。
  →愛猫1代目はアメリカで死亡。
  →現在は3代目、体長1m、体重およそ8kg

  ・以前お前の絵はペンキの絵だと言われた。
  →実物を自分の目で見なければ立体的な絵は描けない。
  →モノには見えない裏側がある。

  ・描くモノは自分の両眼で確かめろ、モノは平面ではない。

  ・ある時取材旅行でいった山で世界を悟った。
  →世界は俺が生まれる前から存在する、
  こんな大きな世界で何をくよくよすることがあるか。
  →〆切なんて、いったいなんだっていうのか。

  ・未来は皆の胸の中にすでにある。
  →胸にある思いはすでに"存在する"未来である。
  →夢は未来に成る。

  ・昔子供のころに憧れたモノが存在する=誰かがそれに憧れていたのかも。

  →模倣、応用、改良、発展までいけばセミプロ、
  しかし次の"創作"までの壁が巨大。

  ・何事も歯を食い縛って泣いてがんばれ。
  →これからは君たちの時代。
  →きっと100年以上生きられる時代がもうすぐ来る。
  →食うときは食う、寝るときは寝る。
  →自分がノイローゼになるくらいなら相手をノイローゼにしろ。
  →1に気力、2に気力。

  Q3,挫折したことはありますか? 挫折から立ち上がる方法は?
  A,クビになったときとか打ち切りのときは流石にへこむ。
    明日は見てろよ等、リベンジ精神が重要。
    その日のうちにカラオケで熱唱してるとか、切り替えと充電も重要。
    若いときの挫折は、まだ片膝ついただけ、すぐ立ち上がれる。
    作家は自分が全て、自分を鍛え、全てに立ち向かう。
    泣くのは恥じゃない。
    夢を忘れるな、夢にすがるのもいい。

  Q4,アニメの原作者の立場として、何か思うところはあるか?
  A,自分でアニメもやってしまうのであまり区別して考えたことはないが......。
    作中の、ある一言で断固として何を表現したいのかを考える。
    作中のただ一言のために物語を考える。
    またその一言を普通の映画や作品の中から見出せる技術を磨くと、よいかも。
    漫画家が漫画ばかりみても仕方ないし、小説家が小説ばかり読んでいるのも意味がない。
    多くの体験、経験、それらを含めた広い知識などの蓄積が重要。
    あとは執念だ。

  以上。


・未来は皆の胸の中にすでにある。
→胸にある思いはすでに"存在する"未来である。
→夢は未来に成る。

素敵な言葉ですね。これは「未来」を「過去」に置き換えても成立するのではないでしょうか。

たとえ誰かが亡くなっても、その人と時を共に過ごした誰かの胸の中にある思い出が、その誰かの生き方に影響を与え続ける。これは亡くなった誰かが、ある意味では今も存在し、生き続けているということに他ならない。

そして亡くなった誰かに影響を受けている誰かが、また別の誰かに影響を与え、そうすることによって亡くなった誰かの命をまた別の誰かに繋いでいく。

命とはそうやって、過去から未来まで途切れることなく無限に繋がっているものなのでしょう。それが松本零士先生が「銀河鉄道999」をはじめとする作中でテーマとしている「時の環」なのかもしれませんね。

もう一歩踏み込むと、例えば松本先生が山で世界を悟ったように、色々な何かが生き方に影響していくなら、それらの何かは生きている、と言えるのかもしれません。つまり、他の誰かから、他の何かから影響を受けることが命ということであるなら、人間と動植物の違い、あるいは生物と無生物の違いでさえ、小さな違いに過ぎないのかも。

よろしければ「千の風になって」原詩の原詩のほうもご一読下さい。関連が深い内容になってます。

ところで、松本先生は最近はあまり作品を発表されて無いように思いますが、もうすぐ再開予定と聞いてひと安心です。それも大好きな昆虫漫画を描くことになるかもしれないとか? 楽しみです。