- 2009.12.30: 命の定義とは?
- 2009.12.28: 生きるということは綺麗事ではない
- 2007.11.20: 科学の本質って
- 2007.01.11: 食足世平 (Peace will come to the world when the people have enough to eat)
- 2006.07.16: 「千の風になって」原詩の原詩 (A hidden message in Do not stand at my grave and weep)
- 2006.06.30: 夢は未来に成る~松本零士先生トークショーより (2chより転載)
2009.12.30
命の定義とは?
命の定義とはなんだろう。まず語るべきは、生物と無生物との境界とは? という命題だろうか。
生物と無生物との境界とは?
そこで登場するのが、ウイルスという存在だ。ウイルスは、他の生物の細胞を利用して、自己を複製することができる存在だ。しかし、自力での自己複製はできない。それだけでなく、ウイルスは、代謝を行なわない。つまり、単体として存在するときは、完全に静的な存在であり、何らの活動も行わない。他の生物の細胞に侵入し、それを利用して自己複製する過程も、あるいは突然変異による変化も、純粋に化学的反応によるもので、自発的な活動らしきものは一切やらない。
そこで、現在の生物学上では、ウイルスでは生物ではなく無生物であるとされている。が、しかしこれはあくまで現段階における便宜上の位置づけに過ぎない。生物ではないものの、生物学的存在ではある、とか言われたりもする。結局、現在の科学においては、生物と無生物の境界については、どう定義すべきかよくわかっていない、というのが現状のようだ。
ガイア理論──地球は生きている?
2009.12.28
生きるということは綺麗事ではない
当たり前の話ではあるが、生きるということは綺麗事ではない。生きるためには、食べるため、あるいは自分の身を守るため、その他様々な理由で、他の生物の命を奪わざるを得ない。これはもちろん、人に限った話ではない。一見は平和的に見えるごく一般的な植物でさえ、病原体や害虫に対しては、農薬に似た物質を作り出して対抗する防御機構を持っていたりもする。この植物が自然に作り出す農薬様物質には、化学農薬と同様に発ガン性がある。だから無農薬栽培の野菜なら綺麗・安全、ということはなく、むしろ農薬に守られて育ったものより高い発ガン性を持つことすらあるという。また、雑草が農作物の成長を妨げるように、植物同士での生存競争もある。植物も、自らが生きるために、他者を殺しているのだ。
人は時に、自らが綺麗でありたいと願う。そのために、煩悩を絶ち、禁欲し、肉食・魚食を絶って菜食して精進する、というような生き方を選択したりもする。しかし、それが動物であれ植物であれ、命は命だ。植物の命が動物の命より軽いということはないだろう。植物を食べる場合は、植物の種類にもよるが、動物の場合と違って、必ずしもひとつの個体全体を殺す必要はなく、食べる部分だけを切り出して食べることもできる。だが、多細胞生物は、多くの生物の共生体である。ひとつの個体全体にも命は宿るし、個々の細胞にも命は宿る。どういう形であれ、命を奪って糧とする、という点は、等しく変りないと思う。
鯨のような、高い知能を持つ生物を食することを忌み嫌う人もいる。しかし知性の高低と、命の価値とを客観的に関連付けることは不可能だろう。ではなぜ、高い知能を持つ生物を食することを忌み嫌うののだろうか。それは結局、人間は高い知能を持つから特別の存在であって欲しい、という気持ちの裏返しに過ぎ無いのかもしれない。要するに、これは差別である。
2007.11.20
2007.01.11
食足世平 (Peace will come to the world when the people have enough to eat)
食足世平。今月5日に亡くなった日清食品の創業者にしてチキンラーメン、カップヌードルの発明者、安藤百福さんの言葉。食が足りてこそ世の中が平和になる、という意味だ。
この言葉を目にして、少し前にやっていた、カップヌードルのTVCMを思い出した。国際宇宙ステーションの搭乗員が、カップヌードル (の宇宙版のスペースラム) を食べる。そして眼下に広がる地球を小さな窓から眺める。そして「NO BORDER」の文字。(YouTube動画)
氏の発明したカップ麺は、どれだけの人の命を救ったのだろう。世界における紛争や災害時に援助物資として日本から送られたカップ麺の数は知れない。手元のコミック版プロジェクトXによると、阪神大震災のときには162万食。ソ連崩壊の際には136万食。インドネシア・ティモール紛争のときには250万食。台湾大震災のときには5万食が送られたという。
一杯のカップ麺を食べるとき、そこに込められた世界平和への願いを忘れないようにしたい。氏のご冥福をお祈りします。
"食足世平" is a word by Momofuku Ando, the inventor of instant noodle, who passed away early in this month. This word means, "Peace will come to the world when the people have enough to eat".
I remember a TVCM of Nissin Cup Noodle that was seen in Japan. A crew of International Space Station eats Space Ram (space version of Cup Noodle), with seeing the Earth from a small window of ISS. Finally, telop of "NO BORDER" appears. (see it on YouTube)
I wonder that how many lives have been saved by his wonderful invention. Government of Japan has been sending instant noodle for conflict-affected regions and disaster areas in the world. For example, 1.62 millions for Great Hanshin Earthquake in Japan, 1.36 millions for Soviet breakup, 2.5 millions for confliction at Timor, and 50 thousands for Great Taiwan Earthquake.
May his soul rest in peace, with all my respect to his wish for the peace of the Earth, as seen in his instant noodle.
リンク ~ Link
2006.07.16
「千の風になって」原詩の原詩 (A hidden message in Do not stand at my grave and weep)
「千の風になって」という詩をご存知でしょうか。「私のお墓の前で泣かないで下さい/そこに私はいません、眠ってなんかいません/千の風に、千の風になって/あの大きな空を、吹きわたっています」という詩をきっとどこかで目にしたことがあると思います。これは、作者不詳の英語詩を作家の新井 満さんが和訳したものです。日本語詩の全文 (新井 満さんの公式サイト内のページにリンクしています)。
新井 満さんは、この日本語詩に曲もつけており、新井 満さんご本人の他、テノール歌手の秋川雅史さんや、同じくテノール歌手の新垣 勉さんらによって歌われていますので、テレビやラジオで聞いたことがある方も多いかもしれません。
この日本語詩ですが、原詩とは結構内容を変えてあったりします。新井 満さんご本人も一種の超訳だと言っておられるようです。歌の歌詞として使うことを前提とした訳、という都合もあるみたいですね。新井 満さんの本で紹介されている原詩は次のようなものです。
Author Unknown
Do not stand at my grave and weep;
I am not there, I do not sleep.
I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumun's rain.
When you awaken in the morning's hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night.
Do not stand at my grave and cry;
I am not there, I did not die.
weep -> sleep, blow -> snow のように韻を踏んだ美しい英文です。声に出して読んでみるとより味わい深いでしょう。
この原詩の日本語訳としては、南風 椎さんによる「1000の風」もよく知られています。南風 椎さんの日本語詩は、新井 満さんのものとは異なり、素直かつ正確な直訳になっています。こちらも全文を紹介したかったのですが、無断転載はできませんし、正式な許可を得て転載していると思われるウェッブページも見つかりませんでしたので断念。
ところでこの原詩、実は大元の原詩、いわば原詩の原詩とはかなり異なるようです。
この英語詩、英語圏においても長らく作者不詳とされていたようですですが、Alan Chapman さんによるウェッブページ (英文) によると、今ではメアリー・フライ(Mary Frye)さんというアメリカの女性が1932年に作詩したものという説がほぼ確実なのだとか (ただし100%確実、というわけではない模様)。それが口コミのような形で伝えられていくうちに、内容も微妙に変わっていき、新井さんの本で紹介されているものが最も良く知られるバージョンのひとつになったようです。
そのメアリー・フライさんご本人によって、元々のバージョンだと確認されているという原詩、つまり原詩の原詩が、次のようなものだそうです。ちなみに、無題の詩です・・・
According to a webpage written by Alan Chapman, it seems that this well known poem above was originally written by Mary Frye. And following is her origial version...
2006.06.30
夢は未来に成る~松本零士先生トークショーより (2chより転載)
2ch掲示板の懐かし漫画板に松本零士先生のトークショーのレポを書いてくれた人がいたのですが、なかなか面白かったので抜粋して紹介。
全文はこちら: 松本零士作品を語り合うスレ 三巻
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1106335226/927-937
・現在いろいろな仕事が止まっているのは、自宅の資料室で温水線断裂事故が発生したため。
→もうちょっとで再開予定。
・昔も今も昆虫漫画(昆虫の視点の漫画)が描きたい。
→最近とある編集部からオファーが。
・蛍をみると女性を連想する。
→以前虫研究家と一緒に仕事をしたとき、蛍の挿絵に紀貫之の句を載せたが、発刊時に削除されていた。
・小さいときからアメコミの翻訳をしていた。
→英語の成績は非常に悪かったが、台詞の翻訳は正確だった。
・(前項の飛行機がらみの)亡くなった友人と愛猫ミー(ミィ?)君への言葉の話。
→「時の接するところで、また我の元に来たれ」等。
→愛猫1代目はアメリカで死亡。
→現在は3代目、体長1m、体重およそ8kg
・以前お前の絵はペンキの絵だと言われた。
→実物を自分の目で見なければ立体的な絵は描けない。
→モノには見えない裏側がある。
・描くモノは自分の両眼で確かめろ、モノは平面ではない。
・ある時取材旅行でいった山で世界を悟った。
→世界は俺が生まれる前から存在する、
こんな大きな世界で何をくよくよすることがあるか。
→〆切なんて、いったいなんだっていうのか。
・未来は皆の胸の中にすでにある。
→胸にある思いはすでに"存在する"未来である。
→夢は未来に成る。
・昔子供のころに憧れたモノが存在する=誰かがそれに憧れていたのかも。
→模倣、応用、改良、発展までいけばセミプロ、
しかし次の"創作"までの壁が巨大。
・何事も歯を食い縛って泣いてがんばれ。
→これからは君たちの時代。
→きっと100年以上生きられる時代がもうすぐ来る。
→食うときは食う、寝るときは寝る。
→自分がノイローゼになるくらいなら相手をノイローゼにしろ。
→1に気力、2に気力。
Q3,挫折したことはありますか? 挫折から立ち上がる方法は?
A,クビになったときとか打ち切りのときは流石にへこむ。
明日は見てろよ等、リベンジ精神が重要。
その日のうちにカラオケで熱唱してるとか、切り替えと充電も重要。
若いときの挫折は、まだ片膝ついただけ、すぐ立ち上がれる。
作家は自分が全て、自分を鍛え、全てに立ち向かう。
泣くのは恥じゃない。
夢を忘れるな、夢にすがるのもいい。
Q4,アニメの原作者の立場として、何か思うところはあるか?
A,自分でアニメもやってしまうのであまり区別して考えたことはないが......。
作中の、ある一言で断固として何を表現したいのかを考える。
作中のただ一言のために物語を考える。
またその一言を普通の映画や作品の中から見出せる技術を磨くと、よいかも。
漫画家が漫画ばかりみても仕方ないし、小説家が小説ばかり読んでいるのも意味がない。
多くの体験、経験、それらを含めた広い知識などの蓄積が重要。
あとは執念だ。
以上。
・未来は皆の胸の中にすでにある。
→胸にある思いはすでに"存在する"未来である。
→夢は未来に成る。
素敵な言葉ですね。これは「未来」を「過去」に置き換えても成立するのではないでしょうか。
たとえ誰かが亡くなっても、その人と時を共に過ごした誰かの胸の中にある思い出が、その誰かの生き方に影響を与え続ける。これは亡くなった誰かが、ある意味では今も存在し、生き続けているということに他ならない。
そして亡くなった誰かに影響を受けている誰かが、また別の誰かに影響を与え、そうすることによって亡くなった誰かの命をまた別の誰かに繋いでいく。
命とはそうやって、過去から未来まで途切れることなく無限に繋がっているものなのでしょう。それが松本零士先生が「銀河鉄道999」をはじめとする作中でテーマとしている「時の環」なのかもしれませんね。
もう一歩踏み込むと、例えば松本先生が山で世界を悟ったように、色々な何かが生き方に影響していくなら、それらの何かは生きている、と言えるのかもしれません。つまり、他の誰かから、他の何かから影響を受けることが命ということであるなら、人間と動植物の違い、あるいは生物と無生物の違いでさえ、小さな違いに過ぎないのかも。
よろしければ「千の風になって」原詩の原詩のほうもご一読下さい。関連が深い内容になってます。
ところで、松本先生は最近はあまり作品を発表されて無いように思いますが、もうすぐ再開予定と聞いてひと安心です。それも大好きな昆虫漫画を描くことになるかもしれないとか? 楽しみです。


